足は親指
2025年12月14日 8時07分03秒 (Sun)
武道、武術の世界では、「足は親指、手は小指」と言います(言い回しは多少違うかもしれません)。
このうち、「手は小指」については、それだけではないと思うところがあって、異論があるのですけれども、「足は親指」については、大筋で納得がいきます。
今回は、その足の方について書いてみたいと思います。
人が歩く時は、まずかかとが接地して、その後に小指、それから親指の順に接地します。そして、親指が地面から離れる直前に、母趾球で身体を送り出すことになります。
この送り出しが、武道、武術、格闘技では重要になると思います。例えば剣道もしかり、ムエタイもしかりです。
合気道の塩田剛三先生(故人)も、足の親指を床に噛ませて使うようにと、著書等で述べておられたように思います。まぁ、この使い方は、送り出しとは別の用法だとは思いますけれども。
ただ、足底の使い方に関しては、私も長い間悩んでいた経緯があります。「足は親指」の教えとは、少なくとも表面上異なる教えとして、「かかと」を重視するものがあるからです。宮本武蔵は、足の運びについて、五輪之書で、「つま先を浮かし」て、「かかとを強く踏んで」、いつでも歩くのと同じようにしなさいと書いています。歩くのと同じとしていることからして、母趾球による送り出しを否定してはいないともとれますけれど、少なくとも、親指を重視していないことは確かです。
柳生新陰流にいたっては、親指をいつでも反り上げていて、足底が床に接地している間は其本的にかかとを浮かせません。おそらく、かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支えているものと思われます(ただ、これは、あくまでも外から観た推測ですし、同じ柳生新陰流でも会派によって違うかもしれません)。
私は、結構長い間、この「親指」の教えと「かかと」の教えを、どちらも稽古や練習の中で試して比べてきましたけれど、どちらにも、身体の送り方や技によって、合う、合わないがあって、どちらが正しいという訳ではないと、今は思っています。
それで、足底の使い方については、自分なりに仮説を立てて、次の四つを、それぞれの流儀や格闘技の技術体系に沿わせて使い分け、また、一つの技の中でも組み合わせて使っています。
(第一に、)
五指、特に親指の無駄な働きをなくして、かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支え、持に身体を移動させて送り出す際にかかとを踏む方法。
(第ニに、)
かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支え、五指で床をつかみ、比較的に母趾球側を利かせて、親指を床に噛ませる意識で働かせる方法。
(第三に、)
かかとを上げ、母趾球に、身体を前に送り出す、又は送り出す準備のための圧をかけ、五指、特に親指は、母趾球による送り出しを阻害しない程度に支えとして働かせて、身体を送る又は支える方法。
なお、この方法の送り出しでは、終盤に親指を床に噛ませる意識で働かせることがあります。
(第四に、)
かかとを高く上げ、母趾球と親指の付け根を中心とした領域で、特に親指を十分に利かせて、身体を支える方法。
なお、この方法でも、親指を床に噛ませる意識で働かせることがあります。
以上の四つは、私なりの使い方ですから、これが正しいのかは判りませんし、この先、変わるかもしれません。
総じて、身体の軸に近く、かつ、相手に向かう側にある母趾球は、程度の差はあるにしろ、どんな時にでも使います。
その先にある親指は、相手との間合いの遠近や、武器の有無や、武器の種類といった各事項に応じた、身体の送り方や技の違いによって、使い方が変わります。
私は、「足は親指」の教えの理解として、"母趾球が大事。身体の送りと技を活かすも殺すも、その送りと技に応じた親指の使い方次第"という意図ではないかと、考えています。
武道、武術、格闘技を稽古、練習されている方々の内で、たいはんの方は、趣味として稽古、練習されているのだろうと思います。稽古、練習に当てられる時間はごく僅かです。ただ、そんな中でも、立つこと、歩くことはいつでも出来ます。日常の中の立ち方、歩き方を稽古、練習にしてしまえば、武道、武術、格闘技は、いつだって稽古、練習が出来ますね。
このうち、「手は小指」については、それだけではないと思うところがあって、異論があるのですけれども、「足は親指」については、大筋で納得がいきます。
今回は、その足の方について書いてみたいと思います。
人が歩く時は、まずかかとが接地して、その後に小指、それから親指の順に接地します。そして、親指が地面から離れる直前に、母趾球で身体を送り出すことになります。
この送り出しが、武道、武術、格闘技では重要になると思います。例えば剣道もしかり、ムエタイもしかりです。
合気道の塩田剛三先生(故人)も、足の親指を床に噛ませて使うようにと、著書等で述べておられたように思います。まぁ、この使い方は、送り出しとは別の用法だとは思いますけれども。
ただ、足底の使い方に関しては、私も長い間悩んでいた経緯があります。「足は親指」の教えとは、少なくとも表面上異なる教えとして、「かかと」を重視するものがあるからです。宮本武蔵は、足の運びについて、五輪之書で、「つま先を浮かし」て、「かかとを強く踏んで」、いつでも歩くのと同じようにしなさいと書いています。歩くのと同じとしていることからして、母趾球による送り出しを否定してはいないともとれますけれど、少なくとも、親指を重視していないことは確かです。
柳生新陰流にいたっては、親指をいつでも反り上げていて、足底が床に接地している間は其本的にかかとを浮かせません。おそらく、かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支えているものと思われます(ただ、これは、あくまでも外から観た推測ですし、同じ柳生新陰流でも会派によって違うかもしれません)。
私は、結構長い間、この「親指」の教えと「かかと」の教えを、どちらも稽古や練習の中で試して比べてきましたけれど、どちらにも、身体の送り方や技によって、合う、合わないがあって、どちらが正しいという訳ではないと、今は思っています。
それで、足底の使い方については、自分なりに仮説を立てて、次の四つを、それぞれの流儀や格闘技の技術体系に沿わせて使い分け、また、一つの技の中でも組み合わせて使っています。
(第一に、)
五指、特に親指の無駄な働きをなくして、かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支え、持に身体を移動させて送り出す際にかかとを踏む方法。
(第ニに、)
かかとと小趾球と母趾球の三角で身体を支え、五指で床をつかみ、比較的に母趾球側を利かせて、親指を床に噛ませる意識で働かせる方法。
(第三に、)
かかとを上げ、母趾球に、身体を前に送り出す、又は送り出す準備のための圧をかけ、五指、特に親指は、母趾球による送り出しを阻害しない程度に支えとして働かせて、身体を送る又は支える方法。
なお、この方法の送り出しでは、終盤に親指を床に噛ませる意識で働かせることがあります。
(第四に、)
かかとを高く上げ、母趾球と親指の付け根を中心とした領域で、特に親指を十分に利かせて、身体を支える方法。
なお、この方法でも、親指を床に噛ませる意識で働かせることがあります。
以上の四つは、私なりの使い方ですから、これが正しいのかは判りませんし、この先、変わるかもしれません。
総じて、身体の軸に近く、かつ、相手に向かう側にある母趾球は、程度の差はあるにしろ、どんな時にでも使います。
その先にある親指は、相手との間合いの遠近や、武器の有無や、武器の種類といった各事項に応じた、身体の送り方や技の違いによって、使い方が変わります。
私は、「足は親指」の教えの理解として、"母趾球が大事。身体の送りと技を活かすも殺すも、その送りと技に応じた親指の使い方次第"という意図ではないかと、考えています。
武道、武術、格闘技を稽古、練習されている方々の内で、たいはんの方は、趣味として稽古、練習されているのだろうと思います。稽古、練習に当てられる時間はごく僅かです。ただ、そんな中でも、立つこと、歩くことはいつでも出来ます。日常の中の立ち方、歩き方を稽古、練習にしてしまえば、武道、武術、格闘技は、いつだって稽古、練習が出来ますね。
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