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2025年9月9日 14時07分38秒 (Tue)
神道夢想流杖術について(思い出など) その2
既に杖術を稽古して久しくなっていた頃に、清水隆次先生の高弟である東京の御師範(故人)のお噂を耳にして、どうしても御師範の技を見たくなり、御師範の稽古場所にお伺いしました。
東京の御師範は、下関の御師範の若い頃をご存知でしたので、私の技の出所はお分かりでしたし、ご自身の術理(清水先生の術理)を多くの者に伝えたいというお気持ちがあったようで、私を受け入れてくださいました。
東京の御師範からは後目録という目録まで頂きました。また、御師範自ら太刀と杖を取って、直に極意(秘伝)の五本を伝授してくださいました。御師範としては、技の根幹の一部を、できるだけ多くの者に知っておいてもらいたいという思いがあったようです。
その後、稽古場所の変更等の環境の変化があって、東京の御師範の技を継承する方々とは疎遠になってしまいました。まことに、不義理をしております。
東京の御師範は、下関の御師範の若い頃をご存知でしたので、私の技の出所はお分かりでしたし、ご自身の術理(清水先生の術理)を多くの者に伝えたいというお気持ちがあったようで、私を受け入れてくださいました。
東京の御師範からは後目録という目録まで頂きました。また、御師範自ら太刀と杖を取って、直に極意(秘伝)の五本を伝授してくださいました。御師範としては、技の根幹の一部を、できるだけ多くの者に知っておいてもらいたいという思いがあったようです。
その後、稽古場所の変更等の環境の変化があって、東京の御師範の技を継承する方々とは疎遠になってしまいました。まことに、不義理をしております。
2025年9月8日 8時56分56秒 (Mon)
神道夢想流杖術について(思い出など) その1
就職してからは、神道夢想流杖術(しんとうむそうりゅうじょうじゅつ)を学んでいます。神道夢想流は、1.3m弱の棒(これを「杖(じょう)」と称する)を使う武術です。この流儀は、私が剣道を稽古していた中学生の頃から学んでみたいと思っていた、私にとっては憧れの武術でした。
現在所属する団体の門を叩いてから、30年近く経ちます。団体の中心人物は、下関の御師範と、その御師範から免許皆伝を授けられた御師範です。
下関の御師範は、神道夢想流25代の統の清水隆次先生(故人)が、杖術を基にした杖道を普及させていた頃から、杖術を稽古されている方です。26代の統の乙藤市蔵先生(故人)から免許皆伝を授けられました。清水先生が加盟された全日本剣道連盟の杖道部からは、清水先生がお亡くなりになられた後に、組織的に分かれておられます。
私は、下関の御師範から後目録という目録まで頂いていて、その他いろいろと御恩があるのですけれども、今思えば、御師範に対してかなり失礼なこともしてきています。それというのも、下関の御師範に内緒で、後から出てくる、杖術の別団体の東京の御師範の所に行っていた事があるからです。
内緒といっても、狭い世界ですからいろいろなルートから私の行動は筒抜けでしたし、私が隠しているつもりでも、動きの節々に異質感が出ていたのでしょう。下関の御師範から、「東京の御師範の所はどうですか?」と訊かれた際に、「さぁ、何のことでしょう」と返していたときなどは、相当不信感を持たれたであろうと思います。それでも、下関の御師範は、気にするそぶりもなく私に接してくだされたので、私も何事もなかったかのように稽古を続けてきました。言い出す機会を完全に逸したという気不味さと、今更もうどうでも良いかという開き直りの気持ちで、今に到っています。
言い出せなかつた理由は、学生の頃に、岩間の斉藤先生から、「同じ流儀で同時に複数の師範に師事することは、双方の師範に失礼だ。仮にそうなったとしても、一方の師範の前で他方の師範の技を持ち出さないように」と、言われたことにあります。ただ、今更ながらに、隠し事はいけないなと、思います。
現在所属する団体の門を叩いてから、30年近く経ちます。団体の中心人物は、下関の御師範と、その御師範から免許皆伝を授けられた御師範です。
下関の御師範は、神道夢想流25代の統の清水隆次先生(故人)が、杖術を基にした杖道を普及させていた頃から、杖術を稽古されている方です。26代の統の乙藤市蔵先生(故人)から免許皆伝を授けられました。清水先生が加盟された全日本剣道連盟の杖道部からは、清水先生がお亡くなりになられた後に、組織的に分かれておられます。
私は、下関の御師範から後目録という目録まで頂いていて、その他いろいろと御恩があるのですけれども、今思えば、御師範に対してかなり失礼なこともしてきています。それというのも、下関の御師範に内緒で、後から出てくる、杖術の別団体の東京の御師範の所に行っていた事があるからです。
内緒といっても、狭い世界ですからいろいろなルートから私の行動は筒抜けでしたし、私が隠しているつもりでも、動きの節々に異質感が出ていたのでしょう。下関の御師範から、「東京の御師範の所はどうですか?」と訊かれた際に、「さぁ、何のことでしょう」と返していたときなどは、相当不信感を持たれたであろうと思います。それでも、下関の御師範は、気にするそぶりもなく私に接してくだされたので、私も何事もなかったかのように稽古を続けてきました。言い出す機会を完全に逸したという気不味さと、今更もうどうでも良いかという開き直りの気持ちで、今に到っています。
言い出せなかつた理由は、学生の頃に、岩間の斉藤先生から、「同じ流儀で同時に複数の師範に師事することは、双方の師範に失礼だ。仮にそうなったとしても、一方の師範の前で他方の師範の技を持ち出さないように」と、言われたことにあります。ただ、今更ながらに、隠し事はいけないなと、思います。
2025年9月7日 6時49分07秒 (Sun)
無辺流棒術について(思い出など)
諸賞流と同じ道場で同じ時間に隣り合って稽古をしている流儀として無辺流棒術(むへんりゅうぼうじゅつ)があります。主に六尺棒を使う武器技の流儀です。他に長刀、半棒、刀、縄を使います。諸賞流の門下は、だいたい無辺流の稽古もしていますので、私も棒術の形を幾つか学ばせて頂きました。
無辺流長刀の御師範(故人)には、技の助言をよくして頂きました。私のことを、子供のように可愛がってくださいましたので、いろいろと懐かしい思い出があります。
無辺流16代の御宗家は、諸賞流の門下でもいらした方です。普段は諸賞流の稽古に一言も口を出されませんでしたけれど、道場で御宗家と二人きりになったときに一度だけ諸賞流の抑え込みを掛けられたことがあります。床にビ夕ッと貼り付けられて、抵抗できず、衝撃を受けたことを憶えています。
昨年のことですが、16代のお許しを得て、無辺流抜刀の形六本を教えて頂きました。
無辺流長刀の御師範(故人)には、技の助言をよくして頂きました。私のことを、子供のように可愛がってくださいましたので、いろいろと懐かしい思い出があります。
無辺流16代の御宗家は、諸賞流の門下でもいらした方です。普段は諸賞流の稽古に一言も口を出されませんでしたけれど、道場で御宗家と二人きりになったときに一度だけ諸賞流の抑え込みを掛けられたことがあります。床にビ夕ッと貼り付けられて、抵抗できず、衝撃を受けたことを憶えています。
昨年のことですが、16代のお許しを得て、無辺流抜刀の形六本を教えて頂きました。
2025年9月6日 12時36分53秒 (Sat)
諸賞流和術について(思い出など)
大学の頃は、合気道と併行して、諸賞流(しょしょうりゅう)を学びました。諸賞流は、盛岡で伝承されてきた古流の柔術です。「和術(わじゅつ)」と称したり、「和(やわら)」と称したりします。
修士課程までの6年の間に、67代の御宗家(故人)と68代の御宗家から教えを受けました。座り技と立ち技の表の形を全て学び、その内の幾つかの形で四つの変化を学ばせて頂きました。
目録は、4年目で中位申渡というものを頂きました。ようやく諸賞流の入口に立ったような位置付けです。
67代の御宗家は、絵に描いたような昭和の頑固親父といった感じの方で、入門してから二、三年は、座り技しかさせてもらえませんでした。諸賞流の座り技は、正座からの、前方回転や、後方回転や、前蹴り等がありますし、当然相手に引き倒されたりしますので、畳の上で七転八倒しているような状態になります。これを2時間以上行う訳でして、入門してからしばらくは、ひざ頭や足の甲が血だらけになっていました。
68代の御宗家には、今でも、お世話になっています。68代のご厚意で、年に一、二度の頻度で稽古の真似事をさせて頂いて、日本武道館の演武会にも定期的に参加させて頂いています。
諸賞流は、肘当てと、足当てを多用する流儀で、この当て身がよく注目されます。表(基本)の形に対する返し技で使う蹴り技が派手で、これを奥義とする考えもあります。しかしながら、私が諸賞流で一番大事だと思う、というか、好きなのが、目潰しですね。こういう姑息(言い方が悪いですけれど)な技からの連携がないと、極め技や大技など使えません。
姑息といえば、諸賞流の表(基本)の形には、幾つか姑息なものがあります。相手の背後から近づいて、いきなり目潰しをして、足元を掬う等です。実は、表の形の全てに返し技が用意されていますので、流儀の基本思想が姑息という訳ではありません。表の形は、真の諸賞流の稽古をするための前振りみたいなものとも言えます。まぁ、技の意味が分かれば、表の形だけでも、十分だとも言えますけれどもね。表の形の中に、返し技等の要素は入っていますから。
諸賞流の稽古をしてきて、一番良かったと思うことは、67代に散々に座り技をさせられて、結果として、足腰の鍛練ができたことです。今思うと、これが良かったのだと、しみじみ思います。その後に長く武術等の稽古が続けられているのは、この下地があればこそでしょう。
この座り技で、股関節(鼠径部)を、動きの起点とし、かつ、力を受ける要として認識できるようになれば、様々な流儀や格闘技ででも応用できるでしょう。
股関節(鼠径部)の重要性は、立ち技でも当然認識できますけれど、座り技には加圧トレーニングの効果も期待できますから(加圧トレーニングのアイデアはもともと正座からきている)、より良しでしょう。
ただし、無理は禁物です。ひざを壊すと日常生活にまで支障をきたしますから。身を護るための武術で身を壊しては、本末転倒です。
諸賞流で問題になるのは、今後も確実に全伝の伝承が続けられるかどうか、ということでしょう。下地作りは重要ですけれども、それに飽きずについてきてくれる者が、これから先もずっといてくれるかどうか。
表の座り技の形だけで数年かかるような練習体系は、個人的には残すべきだと思いますけれど、はたしてそれで良いのかは、悩ましいところです。いかんせん、稽古者の絶対数が少ないので、心配なところはあります。これは、古流全体に通じる問題なのでしょう。
修士課程までの6年の間に、67代の御宗家(故人)と68代の御宗家から教えを受けました。座り技と立ち技の表の形を全て学び、その内の幾つかの形で四つの変化を学ばせて頂きました。
目録は、4年目で中位申渡というものを頂きました。ようやく諸賞流の入口に立ったような位置付けです。
67代の御宗家は、絵に描いたような昭和の頑固親父といった感じの方で、入門してから二、三年は、座り技しかさせてもらえませんでした。諸賞流の座り技は、正座からの、前方回転や、後方回転や、前蹴り等がありますし、当然相手に引き倒されたりしますので、畳の上で七転八倒しているような状態になります。これを2時間以上行う訳でして、入門してからしばらくは、ひざ頭や足の甲が血だらけになっていました。
68代の御宗家には、今でも、お世話になっています。68代のご厚意で、年に一、二度の頻度で稽古の真似事をさせて頂いて、日本武道館の演武会にも定期的に参加させて頂いています。
諸賞流は、肘当てと、足当てを多用する流儀で、この当て身がよく注目されます。表(基本)の形に対する返し技で使う蹴り技が派手で、これを奥義とする考えもあります。しかしながら、私が諸賞流で一番大事だと思う、というか、好きなのが、目潰しですね。こういう姑息(言い方が悪いですけれど)な技からの連携がないと、極め技や大技など使えません。
姑息といえば、諸賞流の表(基本)の形には、幾つか姑息なものがあります。相手の背後から近づいて、いきなり目潰しをして、足元を掬う等です。実は、表の形の全てに返し技が用意されていますので、流儀の基本思想が姑息という訳ではありません。表の形は、真の諸賞流の稽古をするための前振りみたいなものとも言えます。まぁ、技の意味が分かれば、表の形だけでも、十分だとも言えますけれどもね。表の形の中に、返し技等の要素は入っていますから。
諸賞流の稽古をしてきて、一番良かったと思うことは、67代に散々に座り技をさせられて、結果として、足腰の鍛練ができたことです。今思うと、これが良かったのだと、しみじみ思います。その後に長く武術等の稽古が続けられているのは、この下地があればこそでしょう。
この座り技で、股関節(鼠径部)を、動きの起点とし、かつ、力を受ける要として認識できるようになれば、様々な流儀や格闘技ででも応用できるでしょう。
股関節(鼠径部)の重要性は、立ち技でも当然認識できますけれど、座り技には加圧トレーニングの効果も期待できますから(加圧トレーニングのアイデアはもともと正座からきている)、より良しでしょう。
ただし、無理は禁物です。ひざを壊すと日常生活にまで支障をきたしますから。身を護るための武術で身を壊しては、本末転倒です。
諸賞流で問題になるのは、今後も確実に全伝の伝承が続けられるかどうか、ということでしょう。下地作りは重要ですけれども、それに飽きずについてきてくれる者が、これから先もずっといてくれるかどうか。
表の座り技の形だけで数年かかるような練習体系は、個人的には残すべきだと思いますけれど、はたしてそれで良いのかは、悩ましいところです。いかんせん、稽古者の絶対数が少ないので、心配なところはあります。これは、古流全体に通じる問題なのでしょう。
2025年9月5日 22時36分05秒 (Fri)
岩間スタイルの合気道について(思い出など)
大学生の頃は、合気道部に入って、学士課程中の三年間で二段まで頂きました。
合気道部の顧問の御師範は、お若い頃に茨城県の岩間で植芝盛平先生(故人)にお会いされていて、主に岩間の斉藤守弘先生(故人)に師事されていた方です。
御師範は、斉藤先生を心から慕っておられたので、私も年に数度の頻度で斉藤先生のご指導を受けさせて頂きました。斉藤先生という合気道の大家の技を間近に見られたうえに、直に技を掛けて頂いたことは、私にとって、貴重な経験になりました。
斉藤先生の合気道、すなわち岩間スタイルは、体術の他に、杖対杖、剣対剣、剣対杖に及びましたので、学ぶことは多岐にわたりました。大学の部活での稽古と、大学の御師範の一般向けの道場の稽古を合わせると、週7回稽古をしていた時期もありましたので、合気道漬けだった感があります。
私が稽古をしていた三十数年前は、斉藤先生、つまりは岩間スタイルも、合気会の一員でしたけれども、合気会の中での技の面での異質感は拭えず、三十六の杖等の武器技を使っていたのは、岩間スタイルを稽古する者だけだったように思います。しかし、この前、何気なく目についた合気道の道場を覗いてみたところ、白帯の方が三十六の杖を振っていて驚きました。明らかに岩間スタイルの道場ではなかったので、合気会の中で、武器技もある程度拡がってきていたのだなと、感慨深く思いました。
岩間スタイルの上述の異質感は、技を、固体技法、流体技法、気体技法の三段階に分けて、特に初学者には固体技法を稽古させるところからきています。この三段階を平たく言うと、技を掛けるに当たって、1) 相手にしっかり掴ませる、2) 相手が掴みにくるところに合わせる、3) 相手に触らせない、の三つで、固体技法では、とにかく全力で掴めと言われます。ガッチリ掴まれてから技に入るので、外から観ていると、動きが固く見えます。これだけ観ていると、一般的なイメージでの合気道っぽくありません。しかしながら、これがないと武術的要素が落ちてしまう(最初から崩れているような相手を投げたところで意味がない)ので、必要な稽古だと、個人的には思います。
あとは、当て身七分(七割)の発想のもとで、一教から五教等は、技を掛ける側から当て身(一種の誘い。掌底打ちに近い)で仕掛けるので、先手感が強くなって、やはり一般的なイメージでの合気道っぽくありません。
当て身と言えば、斉藤先生が見せてくれた気体技法は、投げることなく、当て身で極めていましたね。その後に、どうとでも投げられたのでしょうけれども。
岩間スタイルを稽古されている方々には、合気会から離れた方々と、合気会に残った方々とが、それぞれいらっしゃいますけれども、いずれの方々にも、その技術体系を永く残して頂きたいと、切に願っています。
合気道部の顧問の御師範は、お若い頃に茨城県の岩間で植芝盛平先生(故人)にお会いされていて、主に岩間の斉藤守弘先生(故人)に師事されていた方です。
御師範は、斉藤先生を心から慕っておられたので、私も年に数度の頻度で斉藤先生のご指導を受けさせて頂きました。斉藤先生という合気道の大家の技を間近に見られたうえに、直に技を掛けて頂いたことは、私にとって、貴重な経験になりました。
斉藤先生の合気道、すなわち岩間スタイルは、体術の他に、杖対杖、剣対剣、剣対杖に及びましたので、学ぶことは多岐にわたりました。大学の部活での稽古と、大学の御師範の一般向けの道場の稽古を合わせると、週7回稽古をしていた時期もありましたので、合気道漬けだった感があります。
私が稽古をしていた三十数年前は、斉藤先生、つまりは岩間スタイルも、合気会の一員でしたけれども、合気会の中での技の面での異質感は拭えず、三十六の杖等の武器技を使っていたのは、岩間スタイルを稽古する者だけだったように思います。しかし、この前、何気なく目についた合気道の道場を覗いてみたところ、白帯の方が三十六の杖を振っていて驚きました。明らかに岩間スタイルの道場ではなかったので、合気会の中で、武器技もある程度拡がってきていたのだなと、感慨深く思いました。
岩間スタイルの上述の異質感は、技を、固体技法、流体技法、気体技法の三段階に分けて、特に初学者には固体技法を稽古させるところからきています。この三段階を平たく言うと、技を掛けるに当たって、1) 相手にしっかり掴ませる、2) 相手が掴みにくるところに合わせる、3) 相手に触らせない、の三つで、固体技法では、とにかく全力で掴めと言われます。ガッチリ掴まれてから技に入るので、外から観ていると、動きが固く見えます。これだけ観ていると、一般的なイメージでの合気道っぽくありません。しかしながら、これがないと武術的要素が落ちてしまう(最初から崩れているような相手を投げたところで意味がない)ので、必要な稽古だと、個人的には思います。
あとは、当て身七分(七割)の発想のもとで、一教から五教等は、技を掛ける側から当て身(一種の誘い。掌底打ちに近い)で仕掛けるので、先手感が強くなって、やはり一般的なイメージでの合気道っぽくありません。
当て身と言えば、斉藤先生が見せてくれた気体技法は、投げることなく、当て身で極めていましたね。その後に、どうとでも投げられたのでしょうけれども。
岩間スタイルを稽古されている方々には、合気会から離れた方々と、合気会に残った方々とが、それぞれいらっしゃいますけれども、いずれの方々にも、その技術体系を永く残して頂きたいと、切に願っています。
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