ブログ
2026年9月2日 8時31分11秒 (Wed)
「足は親指」も、あやしく思えてきた の補足
身体を動かすには身体の全てを使えば良い訳で、当然、それは足裏にも言えます。母趾球が特に大事とは思いますけれども、他の部位も、当然大事です。
歩く時は、まず、かかとを着いて、次に、荷重の中心を、足裏の外側を通して小趾球に到らせ、そこから母趾球に持っていって、かかとを上げ、最後に、荷重の中心を足の親指と人差し指の間を通して抜きます。
体勢を前重心にして前方に力を掛けるときには、足の指を床に咬ませます。
結局のところ、母趾球以外もそれぞれの役割を担って、足裏の全体として、立つことと、歩くことがなされています。
何が重要なのかを考えることは良いことだと思っていますけれども、それに拘ってはいけないな、とも思います。
以前は、武術としての足裏の使い方について、かかとを着けるべきか、或いは上げるべきかで、やたらと悩んでいました。しかし、考えてみれば、どちらの立ち方も、歩くことにその過程として含まれている訳ですから、二つの立ち方は、歩くと言うことを、何処の過程から始めるのかの違いに過ぎません。
要は動ければ良い訳で、状況に応じて自然に使えれば、それで良しです。
歩く時は、まず、かかとを着いて、次に、荷重の中心を、足裏の外側を通して小趾球に到らせ、そこから母趾球に持っていって、かかとを上げ、最後に、荷重の中心を足の親指と人差し指の間を通して抜きます。
体勢を前重心にして前方に力を掛けるときには、足の指を床に咬ませます。
結局のところ、母趾球以外もそれぞれの役割を担って、足裏の全体として、立つことと、歩くことがなされています。
何が重要なのかを考えることは良いことだと思っていますけれども、それに拘ってはいけないな、とも思います。
以前は、武術としての足裏の使い方について、かかとを着けるべきか、或いは上げるべきかで、やたらと悩んでいました。しかし、考えてみれば、どちらの立ち方も、歩くことにその過程として含まれている訳ですから、二つの立ち方は、歩くと言うことを、何処の過程から始めるのかの違いに過ぎません。
要は動ければ良い訳で、状況に応じて自然に使えれば、それで良しです。
2026年8月31日 17時19分16秒 (Mon)
「足は親指」も、あやしく思えてきた
ここ何年か、足裏の使い方を、ずっと考えてきました。何か手掛かりになる文献等はないかと探しているのですけれども、これを詳しく書いたものを見かけません(大雑把なものはいくらでもありますけれどね)。
武術の世界では、「足は親指」と言います。以前のブログで、これはある程度納得がいくと書きました。これは、母趾球に着目しつつも、母趾球の先にあるのが親指ですから、大した差はないと、自分の中で整理をしたからです。
ただ、いろいろと試していると、大きな差であるように思えてきました。
少なくとも、自立して安定的に、ただただ立つという点に絞ると、足の親指というか、指は全般的に使わない方が良いように思います。足の指、特に親指は、アンカーであり、ブレーキになりますから、外からの外乱としての力を骨に沿って下に流すように、重心位置を調整するうえでは、邪魔になることの方が多いように思います。
ただ立つうえでは、足の指は、少し反り上げる心もちで、また、ジャンケンのパーを出すようなつもりで足裏を拡げて力を抜くのが、良いように思います。私の頭の中のイメージでは、やわらかくなり始めた餅を、床にベトッと置く感じです。この状態で、足裏の母趾球、小趾球、かかとの三点の全てを接地させるのが一つの立ち方ですけれども、あえて一点で立つならば、足裏の母趾球でしょう。
母趾球は、親指を床に咬ませる時にも接地していますから、足裏の中で最も接地する率が高く、最も活躍している箇所であると、私は思います。
そうすると、「足は小指」と言うよりは、「足は母趾球」と言うべきではないかと、個人的には思います。
武術の世界では、「足は親指」と言います。以前のブログで、これはある程度納得がいくと書きました。これは、母趾球に着目しつつも、母趾球の先にあるのが親指ですから、大した差はないと、自分の中で整理をしたからです。
ただ、いろいろと試していると、大きな差であるように思えてきました。
少なくとも、自立して安定的に、ただただ立つという点に絞ると、足の親指というか、指は全般的に使わない方が良いように思います。足の指、特に親指は、アンカーであり、ブレーキになりますから、外からの外乱としての力を骨に沿って下に流すように、重心位置を調整するうえでは、邪魔になることの方が多いように思います。
ただ立つうえでは、足の指は、少し反り上げる心もちで、また、ジャンケンのパーを出すようなつもりで足裏を拡げて力を抜くのが、良いように思います。私の頭の中のイメージでは、やわらかくなり始めた餅を、床にベトッと置く感じです。この状態で、足裏の母趾球、小趾球、かかとの三点の全てを接地させるのが一つの立ち方ですけれども、あえて一点で立つならば、足裏の母趾球でしょう。
母趾球は、親指を床に咬ませる時にも接地していますから、足裏の中で最も接地する率が高く、最も活躍している箇所であると、私は思います。
そうすると、「足は小指」と言うよりは、「足は母趾球」と言うべきではないかと、個人的には思います。
2026年8月15日 8時48分31秒 (Sat)
形の中の謎の技について、あれこれ考えてみる
古武術の形は、技として、また学習計画の一要素として、先達者が練り上げた合理性の塊だと、私は考えています。
その一方で、「なんでこんな構えなの?」、「なんでこう受けるの?」、「なんでこんなことをするの?」という疑問や不合理の宝庫でもあります。最初に合理性の塊と言ったことと、かなり矛盾していますけれど。
「なんで・・・」という疑問に対して、謙虚な方は、ご自身がまだ形の神髄に至っていないとお考えになるのでしょうし、自分本意の方は、形を変えるのでしょう。上記疑問に万人納得の明確な答えが出せない以上、どちらの行いが正しいとは言えません。
神道夢想流の神道流剣術の中に、小太刀で大太刀を極めて不自然に受け止める形があります。100%無理とまでは言わないまでも、少なくとも私のような凡人には、もっと合理的な受け方があるだろうにと、思わせる形です。
この形の小太刀の受け方や位置は、会派によって微妙に異なっていて、オリジナルが何処にあるのかは、今となっては分かりません。私の師事する下関のご師範は、乙藤先生のご門下と繋がりがあることもあって、福岡の形を踏襲していますけれども、東京のご師範の受け方とは、一部異なります。東京のご師範は清水先生のご門下ですけれど 、清水先生の系統でも、さらに微妙に異なる受け方があった(ある?)ようです。
この受け方について、下関のご師範と話をすると、「確実な受け方はこうだけれども、形のままでも、こうすれば出来なくもない」と、いろいろと示唆して頂けます。私は、個人的に、これは"受け"ではなく"斬り"だと考えていますけれども、仲間内で議論をすると、いろいろな発想に接せられて、視野が拡がります。
形そのものが"実は間違って伝わっていた"なんてこともあり得ますけれども、それでも、結論のない疑問に思考を巡らせるのも、無駄ではないと思います。
なんらかの答えが出てしまうと、なかなかそれ以上考えなくなるのが人間ですから、疑問は疑問のままにして考え続ける方が、稽古事は楽しいのではないかと思います。
その一方で、「なんでこんな構えなの?」、「なんでこう受けるの?」、「なんでこんなことをするの?」という疑問や不合理の宝庫でもあります。最初に合理性の塊と言ったことと、かなり矛盾していますけれど。
「なんで・・・」という疑問に対して、謙虚な方は、ご自身がまだ形の神髄に至っていないとお考えになるのでしょうし、自分本意の方は、形を変えるのでしょう。上記疑問に万人納得の明確な答えが出せない以上、どちらの行いが正しいとは言えません。
神道夢想流の神道流剣術の中に、小太刀で大太刀を極めて不自然に受け止める形があります。100%無理とまでは言わないまでも、少なくとも私のような凡人には、もっと合理的な受け方があるだろうにと、思わせる形です。
この形の小太刀の受け方や位置は、会派によって微妙に異なっていて、オリジナルが何処にあるのかは、今となっては分かりません。私の師事する下関のご師範は、乙藤先生のご門下と繋がりがあることもあって、福岡の形を踏襲していますけれども、東京のご師範の受け方とは、一部異なります。東京のご師範は清水先生のご門下ですけれど 、清水先生の系統でも、さらに微妙に異なる受け方があった(ある?)ようです。
この受け方について、下関のご師範と話をすると、「確実な受け方はこうだけれども、形のままでも、こうすれば出来なくもない」と、いろいろと示唆して頂けます。私は、個人的に、これは"受け"ではなく"斬り"だと考えていますけれども、仲間内で議論をすると、いろいろな発想に接せられて、視野が拡がります。
形そのものが"実は間違って伝わっていた"なんてこともあり得ますけれども、それでも、結論のない疑問に思考を巡らせるのも、無駄ではないと思います。
なんらかの答えが出てしまうと、なかなかそれ以上考えなくなるのが人間ですから、疑問は疑問のままにして考え続ける方が、稽古事は楽しいのではないかと思います。
2026年6月23日 8時38分19秒 (Tue)
廻刀動作における右肘の重要性
ある有名流派の方と剣の振り方、特に廻刃動作について話をした際に、その方も自流の技については多くを語らなかったのですけれども、言葉の節々から、こちらとしてはたいへん有意義なご示唆を頂きました(私の誤解、曲解を含むとは思いますけれども)。
それで、私は、今まで、左の体側で剣を廻刀する際に、柄尻側の左肘の位置については相当注意を払ってきましたけれども、「右肘」の使い方については、あまり意識していなかったと思い至りました。
これまでは、「廻刀動作での指や手のひらの使い方」等で手の内について考えてきました。この手の内が刃筋に直結するとして、肘の動きは"振る"ことに直結すると思います。
肘は、手首と手の内へ繋がり、また、肩と胴と股関節に繋がります。今まで、足から上に繋げていく感覚で剣を振っていたのですけれども、肘を起点に各点を繋げた方が速さと精度に勝る気がします。
それで、左の体側で剣を廻刀する途中で右肘を意識して、いろいろと試してみたところ、神道夢想流における神道流剣術の受け流しも、神道夢想流の打ち太刀側が行う杖で払い落とされた後の剣の操作も、無辺流抜刀の頭の上で剣を返す動作も、皆同じ術理の上で成り立つと、思い至りました。
そのうえで、以前に師事していた杖術の東京の御師範から、杖を逆手持ちから反転させて打ち込む際に、肘の使い方を口酸っぱく指導されたことを思い出しました。この杖の半転動作も、廻刀動作の途中経過も、基本的に動きは重なります。
こういうことに、もっと早く気が付くべきだなと思いつつ、気が付かないよりはましかと、開き直るのでした。
それで、私は、今まで、左の体側で剣を廻刀する際に、柄尻側の左肘の位置については相当注意を払ってきましたけれども、「右肘」の使い方については、あまり意識していなかったと思い至りました。
これまでは、「廻刀動作での指や手のひらの使い方」等で手の内について考えてきました。この手の内が刃筋に直結するとして、肘の動きは"振る"ことに直結すると思います。
肘は、手首と手の内へ繋がり、また、肩と胴と股関節に繋がります。今まで、足から上に繋げていく感覚で剣を振っていたのですけれども、肘を起点に各点を繋げた方が速さと精度に勝る気がします。
それで、左の体側で剣を廻刀する途中で右肘を意識して、いろいろと試してみたところ、神道夢想流における神道流剣術の受け流しも、神道夢想流の打ち太刀側が行う杖で払い落とされた後の剣の操作も、無辺流抜刀の頭の上で剣を返す動作も、皆同じ術理の上で成り立つと、思い至りました。
そのうえで、以前に師事していた杖術の東京の御師範から、杖を逆手持ちから反転させて打ち込む際に、肘の使い方を口酸っぱく指導されたことを思い出しました。この杖の半転動作も、廻刀動作の途中経過も、基本的に動きは重なります。
こういうことに、もっと早く気が付くべきだなと思いつつ、気が付かないよりはましかと、開き直るのでした。
2026年6月18日 8時29分11秒 (Thu)
諸賞流の形の体系を、あらためて考えてみる
一段階目:基本となる柔術(表の形)
一本目:下でいうパターン2
二本目:下でいうパターン1-1
二段階目:返し技(ほごれの形)
一本目:下でいうパターン2’
二本目:下でいうパターン1’-1
諸賞流の一段階目の形の流れは、大きく分けて二つに分かれます。
攻撃を仕掛けた者(捕)が勝つ場合(パターン1)と、相手(受)の攻撃に応じた者(捕)が勝つ場合(パターン2)です。パターン1は、さらに、攻撃した者(捕)が相手(受)に応じる機会を与えずに勝つ場合(パターン1-1)と、攻撃した者(捕)が相手(受)の受けに合わせて技を返す場合(パターン1-2)とに別れます。
まとめると、こうなります。
1-1) 攻撃(捕)→制圧(捕)
1-2) 攻撃(捕)→受け(受)→返し・制圧(捕)
2) 攻撃(受)→受け・返し・制圧(捕)
各パターンには、二段階目の返し技がありますけれども、この返し技の形の流れをまとめると、次のようになります。
1’-1) 攻撃(捕)→返し・制圧(受)
1’-2) 攻撃(捕)→受け・返し・制圧(受)
2’) 攻撃(受)→受け・返し(捕)→返し・制圧(受)
こうしてまとめてみると、一段階目と二段階目とで当然違いは有りますけれども、返しが多い点で大して違わないようにも見えます。
考えてみれば、武術の形はたいてい返し技で構成されていますから、これに返し技を重ねても、蛇足なのかもしれません。
とはいえ、一段階目の攻撃パターンは単調になりますから、同じ返し技でも、二段階目の多彩さはバリエーションを拡げる点で意味はあると思います。
以前は、返し技(ほごれ)こそ諸賞流の神髄だと思っていましたけれども、返し技(ほごれ)とて一段階目(表)の稽古で出てきた技の組み替えですから、結局、一段階目の稽古が大事だという結論に落ち着きます。
そのうえで、諸賞流の形の体系の特徴は何であろうかとあらためて考えてみると、攻撃を仕掛けた者がそのまま勝ってしまう形があることではないかと思うのです。上のパターン1-1ですね。
出会い頭にいきなり目潰しから入るとか、背後から近づいて目潰しするとか、或いは背後から引き倒すとか、けっこう卑怯なことをします。
私は根が卑怯なのでしょうね。こういう形が、大好きです。
一本目:下でいうパターン2
二本目:下でいうパターン1-1
二段階目:返し技(ほごれの形)
一本目:下でいうパターン2’
二本目:下でいうパターン1’-1
諸賞流の一段階目の形の流れは、大きく分けて二つに分かれます。
攻撃を仕掛けた者(捕)が勝つ場合(パターン1)と、相手(受)の攻撃に応じた者(捕)が勝つ場合(パターン2)です。パターン1は、さらに、攻撃した者(捕)が相手(受)に応じる機会を与えずに勝つ場合(パターン1-1)と、攻撃した者(捕)が相手(受)の受けに合わせて技を返す場合(パターン1-2)とに別れます。
まとめると、こうなります。
1-1) 攻撃(捕)→制圧(捕)
1-2) 攻撃(捕)→受け(受)→返し・制圧(捕)
2) 攻撃(受)→受け・返し・制圧(捕)
各パターンには、二段階目の返し技がありますけれども、この返し技の形の流れをまとめると、次のようになります。
1’-1) 攻撃(捕)→返し・制圧(受)
1’-2) 攻撃(捕)→受け・返し・制圧(受)
2’) 攻撃(受)→受け・返し(捕)→返し・制圧(受)
こうしてまとめてみると、一段階目と二段階目とで当然違いは有りますけれども、返しが多い点で大して違わないようにも見えます。
考えてみれば、武術の形はたいてい返し技で構成されていますから、これに返し技を重ねても、蛇足なのかもしれません。
とはいえ、一段階目の攻撃パターンは単調になりますから、同じ返し技でも、二段階目の多彩さはバリエーションを拡げる点で意味はあると思います。
以前は、返し技(ほごれ)こそ諸賞流の神髄だと思っていましたけれども、返し技(ほごれ)とて一段階目(表)の稽古で出てきた技の組み替えですから、結局、一段階目の稽古が大事だという結論に落ち着きます。
そのうえで、諸賞流の形の体系の特徴は何であろうかとあらためて考えてみると、攻撃を仕掛けた者がそのまま勝ってしまう形があることではないかと思うのです。上のパターン1-1ですね。
出会い頭にいきなり目潰しから入るとか、背後から近づいて目潰しするとか、或いは背後から引き倒すとか、けっこう卑怯なことをします。
私は根が卑怯なのでしょうね。こういう形が、大好きです。