神道夢想流
2026年4月7日 12時51分42秒 (Tue)
杖術における逆手での手のひらの使い方
神道夢想流の逆手の構えにおける手のひらの使い方は、本手(順手)や一般的な剣術とは、異なります。
逆手では、杖を、指尖球(人差し指から小指までの付け根)と、対向する母指球と小指球とで挟み、指尖球に沿って手の窪(てのくぼ)に収めます。
小指球でも杖を挟むことが基本ですけれども、拳の位置によっては無理が生じますので、その際には小指球を緩めてかまいません。ただし、多少のズレはあっても指尖球からは外しません。
逆手では、杖を、指尖球(人差し指から小指までの付け根)と、対向する母指球と小指球とで挟み、指尖球に沿って手の窪(てのくぼ)に収めます。
小指球でも杖を挟むことが基本ですけれども、拳の位置によっては無理が生じますので、その際には小指球を緩めてかまいません。ただし、多少のズレはあっても指尖球からは外しません。
2025年11月19日 23時18分52秒 (Wed)
神道夢想流の体系
「日本杖術協会」から、神道夢想流の形についての簡単な説明文を頂きましたので、流儀の体系の説明として、掲載させて頂きます。
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神道夢想流杖術の形について
神道夢想流杖術の形は、他の武術同様に修行者の段階に応じて順に修めていくように構成されています。(以降は当協会における修行順となります)
【表】
(おもて)
初心者が最初に稽古する形で一二本から構成されています。基本的な技術のみならず、重要な術も含まれています。
【中段】
(ちゅうだん)
初段を取得した後に稽古する形です。一二本で構成されていますが、特徴として比較的遠い間合いから攻防を行う形となっています。
【乱合】
(らんあい)
江戸時代に追加された形で、それぞれ大太刀と小太刀を使用する二本の形です。「中段」と「影」の要素を取り入れ、最も手数が多く、ダイナミックな形となっています。
【影】
(かげ)
形の名前は「表」と同じで、一二本で構成されています。特徴として、比較的近い間合いで「気」を発しながら相手を制圧するシンプルな形となっています。
【五本の乱】
(ごほんのみだれ)
昭和になって清水隆次師範が創られた形です。それぞれの形に他の形や、他の武術の技術を組み合わせています。
【五月雨】
(さみだれ)
心身ともに修行を修めたと認められる五段以上の者が稽古を許される形で、五本で構成されています。形はシンプルですが正確な間合いの見切りと気迫が求められます。
【奥】
(おく)
修行者が最後に稽古する形として一二本で構成されています。特徴としては、激しい動きのみならず、手先の細かい技術や心理戦の要素も含まれており、修行の最終段階にふさわしい難易度の高い形となっています。
【秘伝】
(ひでん)
免許皆伝を受ける者だけが口伝により伝授される五本の形で、その内容は当事者以外に公開されていません。
(以上を合計すると65本になります。ただ、同名の一つの形に、"前"と"後"、或いは、"表"と"裏"があって、実質二本になる形があるため、これを加味すると、全69本になります。)
【神道流剣術】
(しんとうりゅうけんじゅつ)
四通八通(しつうはっつう)とも称され、杖術と共に修めるものとされる剣術の形です。小太刀四本と大太刀八本の形が伝えられています。
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この他に、神道夢想流には含めませんけれども、近代に創られた杖道の初心者用の形が二本(※1)あります。
※1 もう一本あったと聞きますが、私の会派には残っていません。
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神道夢想流杖術の形について
神道夢想流杖術の形は、他の武術同様に修行者の段階に応じて順に修めていくように構成されています。(以降は当協会における修行順となります)
【表】
(おもて)
初心者が最初に稽古する形で一二本から構成されています。基本的な技術のみならず、重要な術も含まれています。
【中段】
(ちゅうだん)
初段を取得した後に稽古する形です。一二本で構成されていますが、特徴として比較的遠い間合いから攻防を行う形となっています。
【乱合】
(らんあい)
江戸時代に追加された形で、それぞれ大太刀と小太刀を使用する二本の形です。「中段」と「影」の要素を取り入れ、最も手数が多く、ダイナミックな形となっています。
【影】
(かげ)
形の名前は「表」と同じで、一二本で構成されています。特徴として、比較的近い間合いで「気」を発しながら相手を制圧するシンプルな形となっています。
【五本の乱】
(ごほんのみだれ)
昭和になって清水隆次師範が創られた形です。それぞれの形に他の形や、他の武術の技術を組み合わせています。
【五月雨】
(さみだれ)
心身ともに修行を修めたと認められる五段以上の者が稽古を許される形で、五本で構成されています。形はシンプルですが正確な間合いの見切りと気迫が求められます。
【奥】
(おく)
修行者が最後に稽古する形として一二本で構成されています。特徴としては、激しい動きのみならず、手先の細かい技術や心理戦の要素も含まれており、修行の最終段階にふさわしい難易度の高い形となっています。
【秘伝】
(ひでん)
免許皆伝を受ける者だけが口伝により伝授される五本の形で、その内容は当事者以外に公開されていません。
(以上を合計すると65本になります。ただ、同名の一つの形に、"前"と"後"、或いは、"表"と"裏"があって、実質二本になる形があるため、これを加味すると、全69本になります。)
【神道流剣術】
(しんとうりゅうけんじゅつ)
四通八通(しつうはっつう)とも称され、杖術と共に修めるものとされる剣術の形です。小太刀四本と大太刀八本の形が伝えられています。
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この他に、神道夢想流には含めませんけれども、近代に創られた杖道の初心者用の形が二本(※1)あります。
※1 もう一本あったと聞きますが、私の会派には残っていません。
2025年11月4日 7時56分44秒 (Tue)
神道夢想流に足りないと思うもの その4
足りないと思うものについては、これを最後にしましょう。
それで、最後に挙げるのは、
【打太刀の攻撃に立体感がない】
と、いうことです(※1) 。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
神道夢想流における八相の構えからの刀の刃筋の方向は、会派によって異なるのですけれども、多くは、正面斬りに近く、つまりはほぼ垂直になります。
神道夢想流では、打太刀の八相からの斬り込みに対して僅かに横に捌いて打太刀に向かって突っ込む技があります。この技は、打太刀が刃筋を垂直に立ててくれると、特段の問題なく実行できます。しかし、この刃筋に角度が付きはじめると、とたんに難しくなります。
前出の東京の御師範の所では、打太刀が八相から袈裟に斬りつけてきましたから、そこでの稽古では、その角度の付いた斬りつけを避けるのに難儀しました。
考えてみれば、八相の構えは自身の首筋の辺りに刀を置いて構える訳ですから、相手の首筋の辺りから刃を入れる、つまりは袈裟に斬る方が自然だと思います。少なくとも、刀法としての袈裟斬りを、無いことにする訳にはいきません。
上からくる刃筋でも、少々角度が付いただけで難儀するのですから、これが上下左右360°に展開されると・・・、私にはこれに対処する自信がまったくありません。
打太刀は正面斬りをしてくるもの、つまりは上からの縦の平面的な攻撃をしてくるもの、という前提に立った稽古ばかりをしていると、武術的には使い物にならなくなるかもしれません。
全方位の立体的な攻撃に対処する研究も、別途必要になるのでしょう。
それで、最後に挙げるのは、
【打太刀の攻撃に立体感がない】
と、いうことです(※1) 。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
神道夢想流における八相の構えからの刀の刃筋の方向は、会派によって異なるのですけれども、多くは、正面斬りに近く、つまりはほぼ垂直になります。
神道夢想流では、打太刀の八相からの斬り込みに対して僅かに横に捌いて打太刀に向かって突っ込む技があります。この技は、打太刀が刃筋を垂直に立ててくれると、特段の問題なく実行できます。しかし、この刃筋に角度が付きはじめると、とたんに難しくなります。
前出の東京の御師範の所では、打太刀が八相から袈裟に斬りつけてきましたから、そこでの稽古では、その角度の付いた斬りつけを避けるのに難儀しました。
考えてみれば、八相の構えは自身の首筋の辺りに刀を置いて構える訳ですから、相手の首筋の辺りから刃を入れる、つまりは袈裟に斬る方が自然だと思います。少なくとも、刀法としての袈裟斬りを、無いことにする訳にはいきません。
上からくる刃筋でも、少々角度が付いただけで難儀するのですから、これが上下左右360°に展開されると・・・、私にはこれに対処する自信がまったくありません。
打太刀は正面斬りをしてくるもの、つまりは上からの縦の平面的な攻撃をしてくるもの、という前提に立った稽古ばかりをしていると、武術的には使い物にならなくなるかもしれません。
全方位の立体的な攻撃に対処する研究も、別途必要になるのでしょう。
2025年11月3日 7時00分28秒 (Mon)
神道夢想流に足りないと思うもの その3
合戦の常道とは、投石や矢の射かけ合い或いは鉄砲の撃ち合いという遠距離戦に始まって、長槍での叩き合いという中距離戦に移行し、組み討ちのような接近戦に移行する際には、おおかたの大勢が決まっているというもののようです。
つまりは、できるだけ離れて戦って、相手の損耗を待ってから相手に近付いていき、止めを刺すために接近するということでしょう。
これは個人間の闘争にも当て嵌まると、私は思っています。できる事なら、あまり近付かないで闘いたいものですし、それでけりが付くなら、それが我が身の安全のために一番良いことでしょう。
そのうえで、神道夢想流の話です。刀に対する杖のほぼ唯一と言っていい強みは、"一尺ほど長い"ということです。しかしながら、私には、神道夢想流は、
【杖の長さを活かしきっていない】
と、思えます(※1) 。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
ちょっと長いと言っても、1.3mもない棒ですから、間合いを延ばそうと思ったら、一端を片手で握って、目一杯長く持って振るのが一番だと思います。術としては、片手で振った後の杖の処理を考えれば良い訳で、こうした処理のことは、例えば、岩間スタイルの合気道の杖術でも考えられています。しかし、神道夢想流には、こうした目一杯間合いを延ばす闘い方がありません。むしろ、杖を体側に退いたまま、間合いを詰めに行くことが多くあります。
死ぬか生きるかの瀬戸際では、腰が引けるのが当たり前で、相手に体当たりするくらいの距離感で突っ込まないと、武器の先すら当たらないようですから、神道夢想流はそれを見越して接近戦の形が多く入っているのかもしれません。
そう考えると、流祖や先達の慧眼であると、言えるかもしれません。
前回の“掴まれることを考えていない“等も含めて考えると、もしかしたら、神道夢想流は、「斬られるとか、掴まれるとかなんか考えずに、間隙をぬって相手に突っ込んで、相手を崩し倒すことこそが、当流の意地である」という流儀なのかもしれません。
つまりは、できるだけ離れて戦って、相手の損耗を待ってから相手に近付いていき、止めを刺すために接近するということでしょう。
これは個人間の闘争にも当て嵌まると、私は思っています。できる事なら、あまり近付かないで闘いたいものですし、それでけりが付くなら、それが我が身の安全のために一番良いことでしょう。
そのうえで、神道夢想流の話です。刀に対する杖のほぼ唯一と言っていい強みは、"一尺ほど長い"ということです。しかしながら、私には、神道夢想流は、
【杖の長さを活かしきっていない】
と、思えます(※1) 。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
ちょっと長いと言っても、1.3mもない棒ですから、間合いを延ばそうと思ったら、一端を片手で握って、目一杯長く持って振るのが一番だと思います。術としては、片手で振った後の杖の処理を考えれば良い訳で、こうした処理のことは、例えば、岩間スタイルの合気道の杖術でも考えられています。しかし、神道夢想流には、こうした目一杯間合いを延ばす闘い方がありません。むしろ、杖を体側に退いたまま、間合いを詰めに行くことが多くあります。
死ぬか生きるかの瀬戸際では、腰が引けるのが当たり前で、相手に体当たりするくらいの距離感で突っ込まないと、武器の先すら当たらないようですから、神道夢想流はそれを見越して接近戦の形が多く入っているのかもしれません。
そう考えると、流祖や先達の慧眼であると、言えるかもしれません。
前回の“掴まれることを考えていない“等も含めて考えると、もしかしたら、神道夢想流は、「斬られるとか、掴まれるとかなんか考えずに、間隙をぬって相手に突っ込んで、相手を崩し倒すことこそが、当流の意地である」という流儀なのかもしれません。
2025年11月2日 11時31分37秒 (Sun)
神道夢想流に足りないと思うもの その2
前回からの流れで、神道夢想流に足りないと思うものを挙げると、
【掴まれることを考えていない】
と、いうことがあります(※1) 。少なくとも、考えているようには見えません。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
掴まれる対象は、杖もありますし、身体と着衣のー部もあり得ます。杖を使う側は、杖先から身体の至る所まで、いつでも掴まれる、或いは踏まれる可能性のある所ばかりです。
合気道には杖を掴まれたときの対処がありますけれども、杖を掴む側は武器を持っていませんから、掴まれる側にはまだ余裕があります。しかし、相手が、片手で杖を掴んで片手で刀を振ってくるとなると、おそらく、とたんに余裕がなくなると思います。杖を使う側の掴みへの対処よりも、刀を使う側の刃を飛ばす攻撃の方が格段に早いと思うからです。
それに、杖を掴まれた場合は、杖を捨てて逃げる手もありますけれども、身体又は着衣の一部を掴まれた場合には、その手も使えません。
それならば、掴まれないように闘う工夫をすれば良いと思うのですけれども、神道夢想流は、結構、接近戦が多いのです。そうすると、納得のいく工夫というのも、なかなか思いつきません。
掴まれたときの対処としては、私は、一か八かの合気道系の剣取りや当て身系の体術くらいしか、今のところは思いつきません。もはや、神道夢想流ではなくなっています。
【掴まれることを考えていない】
と、いうことがあります(※1) 。少なくとも、考えているようには見えません。
※1 あくまでも、一個人の見解です。
掴まれる対象は、杖もありますし、身体と着衣のー部もあり得ます。杖を使う側は、杖先から身体の至る所まで、いつでも掴まれる、或いは踏まれる可能性のある所ばかりです。
合気道には杖を掴まれたときの対処がありますけれども、杖を掴む側は武器を持っていませんから、掴まれる側にはまだ余裕があります。しかし、相手が、片手で杖を掴んで片手で刀を振ってくるとなると、おそらく、とたんに余裕がなくなると思います。杖を使う側の掴みへの対処よりも、刀を使う側の刃を飛ばす攻撃の方が格段に早いと思うからです。
それに、杖を掴まれた場合は、杖を捨てて逃げる手もありますけれども、身体又は着衣の一部を掴まれた場合には、その手も使えません。
それならば、掴まれないように闘う工夫をすれば良いと思うのですけれども、神道夢想流は、結構、接近戦が多いのです。そうすると、納得のいく工夫というのも、なかなか思いつきません。
掴まれたときの対処としては、私は、一か八かの合気道系の剣取りや当て身系の体術くらいしか、今のところは思いつきません。もはや、神道夢想流ではなくなっています。
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