諸賞流
2026年6月18日 8時29分11秒 (Thu)
諸賞流の形の体系を、あらためて考えてみる
一段階目:基本となる柔術(表の形)
一本目:下でいうパターン2
二本目:下でいうパターン1-1
二段階目:返し技(ほごれの形)
一本目:下でいうパターン2’
二本目:下でいうパターン1’-1
諸賞流の一段階目の形の流れは、大きく分けて二つに分かれます。
攻撃を仕掛けた者(捕)が勝つ場合(パターン1)と、相手(受)の攻撃に応じた者(捕)が勝つ場合(パターン2)です。パターン1は、さらに、攻撃した者(捕)が相手(受)に応じる機会を与えずに勝つ場合(パターン1-1)と、攻撃した者(捕)が相手(受)の受けに合わせて技を返す場合(パターン1-2)とに別れます。
まとめると、こうなります。
1-1) 攻撃(捕)→制圧(捕)
1-2) 攻撃(捕)→受け(受)→返し・制圧(捕)
2) 攻撃(受)→受け・返し・制圧(捕)
各パターンには、二段階目の返し技がありますけれども、この返し技の形の流れをまとめると、次のようになります。
1’-1) 攻撃(捕)→返し・制圧(受)
1’-2) 攻撃(捕)→受け・返し・制圧(受)
2’) 攻撃(受)→受け・返し(捕)→返し・制圧(受)
こうしてまとめてみると、一段階目と二段階目とで当然違いは有りますけれども、返しが多い点で大して違わないようにも見えます。
考えてみれば、武術の形はたいてい返し技で構成されていますから、これに返し技を重ねても、蛇足なのかもしれません。
とはいえ、一段階目の攻撃パターンは単調になりますから、同じ返し技でも、二段階目の多彩さはバリエーションを拡げる点で意味はあると思います。
以前は、返し技(ほごれ)こそ諸賞流の神髄だと思っていましたけれども、返し技(ほごれ)とて一段階目(表)の稽古で出てきた技の組み替えですから、結局、一段階目の稽古が大事だという結論に落ち着きます。
そのうえで、諸賞流の形の体系の特徴は何であろうかとあらためて考えてみると、攻撃を仕掛けた者がそのまま勝ってしまう形があることではないかと思うのです。上のパターン1-1ですね。
出会い頭にいきなり目潰しから入るとか、背後から近づいて目潰しするとか、或いは背後から引き倒すとか、けっこう卑怯なことをします。
私は根が卑怯なのでしょうね。こういう形が、大好きです。
一本目:下でいうパターン2
二本目:下でいうパターン1-1
二段階目:返し技(ほごれの形)
一本目:下でいうパターン2’
二本目:下でいうパターン1’-1
諸賞流の一段階目の形の流れは、大きく分けて二つに分かれます。
攻撃を仕掛けた者(捕)が勝つ場合(パターン1)と、相手(受)の攻撃に応じた者(捕)が勝つ場合(パターン2)です。パターン1は、さらに、攻撃した者(捕)が相手(受)に応じる機会を与えずに勝つ場合(パターン1-1)と、攻撃した者(捕)が相手(受)の受けに合わせて技を返す場合(パターン1-2)とに別れます。
まとめると、こうなります。
1-1) 攻撃(捕)→制圧(捕)
1-2) 攻撃(捕)→受け(受)→返し・制圧(捕)
2) 攻撃(受)→受け・返し・制圧(捕)
各パターンには、二段階目の返し技がありますけれども、この返し技の形の流れをまとめると、次のようになります。
1’-1) 攻撃(捕)→返し・制圧(受)
1’-2) 攻撃(捕)→受け・返し・制圧(受)
2’) 攻撃(受)→受け・返し(捕)→返し・制圧(受)
こうしてまとめてみると、一段階目と二段階目とで当然違いは有りますけれども、返しが多い点で大して違わないようにも見えます。
考えてみれば、武術の形はたいてい返し技で構成されていますから、これに返し技を重ねても、蛇足なのかもしれません。
とはいえ、一段階目の攻撃パターンは単調になりますから、同じ返し技でも、二段階目の多彩さはバリエーションを拡げる点で意味はあると思います。
以前は、返し技(ほごれ)こそ諸賞流の神髄だと思っていましたけれども、返し技(ほごれ)とて一段階目(表)の稽古で出てきた技の組み替えですから、結局、一段階目の稽古が大事だという結論に落ち着きます。
そのうえで、諸賞流の形の体系の特徴は何であろうかとあらためて考えてみると、攻撃を仕掛けた者がそのまま勝ってしまう形があることではないかと思うのです。上のパターン1-1ですね。
出会い頭にいきなり目潰しから入るとか、背後から近づいて目潰しするとか、或いは背後から引き倒すとか、けっこう卑怯なことをします。
私は根が卑怯なのでしょうね。こういう形が、大好きです。
2026年3月4日 7時36分27秒 (Wed)
私は「免許本伝」になっていたらしい
私が持っている諸賞流の正式な目録は、三十数年前に頂いた「中位申渡」だけです。正式な位としては一番下です。
この中位申渡の目録は、先代の御宗家の直筆のもので、先代が一文字ひともじ丁寧に、丹精を込めて書かれたことが一目で分かる、私にとっては宝物です。
私は盛岡の出ではありませんし、しっかり稽古をしたのは学生の頃の6年間だけですから、位は中位申渡までだと思っていました。そして、先代及び当代の御宗家方や門下の方々のご厚意で、たまに盛岡で稽古ができて、たまに日本武道館等で演武ができるだけで、有り難いことだと思ってきました。それで、演武の際の案内等に記載された私の位が上がっていることには気付いていましたけれど、特に目録を頂いている訳でもないので、それは演武の箔付けのための一種のハッタリだと思っていました。
ただ、2年前から私の肩書きが「免許本伝」になっていたので、さすがに気になって先代にお伺いを立てたところ、「その力があるので、免許本伝をおあげしました」というお手紙を頂きました。
目録もないのに、私は「免許本伝」だと言って良いのか?という疑問はありますけれど、先代からのお手紙を目録だと思って、有り難くその位を頂くことに致しました。
それにしても、本人にすら告知せずに、しれっとその位を上げているというのは、先代らしいと言えば先代らしいです。
この中位申渡の目録は、先代の御宗家の直筆のもので、先代が一文字ひともじ丁寧に、丹精を込めて書かれたことが一目で分かる、私にとっては宝物です。
私は盛岡の出ではありませんし、しっかり稽古をしたのは学生の頃の6年間だけですから、位は中位申渡までだと思っていました。そして、先代及び当代の御宗家方や門下の方々のご厚意で、たまに盛岡で稽古ができて、たまに日本武道館等で演武ができるだけで、有り難いことだと思ってきました。それで、演武の際の案内等に記載された私の位が上がっていることには気付いていましたけれど、特に目録を頂いている訳でもないので、それは演武の箔付けのための一種のハッタリだと思っていました。
ただ、2年前から私の肩書きが「免許本伝」になっていたので、さすがに気になって先代にお伺いを立てたところ、「その力があるので、免許本伝をおあげしました」というお手紙を頂きました。
目録もないのに、私は「免許本伝」だと言って良いのか?という疑問はありますけれど、先代からのお手紙を目録だと思って、有り難くその位を頂くことに致しました。
それにしても、本人にすら告知せずに、しれっとその位を上げているというのは、先代らしいと言えば先代らしいです。
2026年2月8日 7時26分18秒 (Sun)
第49回大会 踏落(ふみおとし)
去る2月1日に開催された第49回日本武道館演武大会に参加してきました。
今回は、演武の冒頭で、小具足(座り技)の踏落(ふみおとし)という形の五重取(ごじゅうどり:五段階の変化)を演武しました。 ▶【動画】



踏落(ふみおとし)の表(おもて):基本となる柔術
諸賞流には、“古式の形"という形稽古の仕方があります。極めてまれに行われる、いわば儀式のようなもので、上座に座した御師範に対して、下座に御師範に向かって一列に座した門弟たちが、一人一人、交代しながら形を行うものです。そのときに使われるのが、"踏落(ふみおとし)"ですから、この形がいかに重要視されているかがわかります。
先代と当代の御宗家たちがNHKに出演されたときにも、踏落は、"神業"として紹介されていました。
ただ、私は、この歳になるまで、この形の重要性がわかりませんでした。こちらの攻撃を受け止めた相手の諸手を、足を掛けて踏み落とすという、一見して精妙さのかけらもないもので、誤解を恐れずに言うならば、極めて雑な技だからです。
しかしながら、歳を取って、身体が硬くなって足が上がらなくなってきたところで、如何に足を上げるかを研究し始めると、骨盤やら股関節やら横隔膜やらの使い方が重要であることがわかってきます。足技を使うには、この辺がわかっていないとダメです。こういうことに、もっと早くから気付ければ良かったのにと、今更ながらに思います。
今回の演武では、足の親指一本でかろうじて足を掛けましたけれども、いつまで踏落が出来ることやら。
もう少しあらがって、頑張ってみようと思います。
今回は、演武の冒頭で、小具足(座り技)の踏落(ふみおとし)という形の五重取(ごじゅうどり:五段階の変化)を演武しました。 ▶【動画】



踏落(ふみおとし)の表(おもて):基本となる柔術
諸賞流には、“古式の形"という形稽古の仕方があります。極めてまれに行われる、いわば儀式のようなもので、上座に座した御師範に対して、下座に御師範に向かって一列に座した門弟たちが、一人一人、交代しながら形を行うものです。そのときに使われるのが、"踏落(ふみおとし)"ですから、この形がいかに重要視されているかがわかります。
先代と当代の御宗家たちがNHKに出演されたときにも、踏落は、"神業"として紹介されていました。
ただ、私は、この歳になるまで、この形の重要性がわかりませんでした。こちらの攻撃を受け止めた相手の諸手を、足を掛けて踏み落とすという、一見して精妙さのかけらもないもので、誤解を恐れずに言うならば、極めて雑な技だからです。
しかしながら、歳を取って、身体が硬くなって足が上がらなくなってきたところで、如何に足を上げるかを研究し始めると、骨盤やら股関節やら横隔膜やらの使い方が重要であることがわかってきます。足技を使うには、この辺がわかっていないとダメです。こういうことに、もっと早くから気付ければ良かったのにと、今更ながらに思います。
今回の演武では、足の親指一本でかろうじて足を掛けましたけれども、いつまで踏落が出来ることやら。
もう少しあらがって、頑張ってみようと思います。
2025年12月8日 8時06分42秒 (Mon)
諸賞流と無辺流の若手二人への表彰



去る11月29日に、若手二人への表彰が行われました。
「盛岡市無形民俗文化財保存連絡協議会」から若手の二人が受けたもので、諸賞流と無辺流の継承、維持に貢献してきたことを表彰するものです。
二人はまだ若いですけれども、小さい頃から稽古をしてきているので、もう立派に技を使っています。
子どもの頃を知っているため、二人のお酒を飲んでいる姿を見て、何か不思議な気がしました。
若い人材が元気に頑張っているということは、良いことです。この二人が、これからの諸賞流と無辺流を支えて、維持、発展させてくれることに、おおいに期待しています。
2025年12月7日 18時54分52秒 (Sun)
諸賞流と無辺流の代替わり

去る11月29日に、諸賞流と無辺流の門下の前で、両流の宗家の継承が宣言されました。今回の継承で、両流の宗家を、一人が兼ねることになります。
実質的な継承は、昨年の暮れ頃に行われていたのですけれども、加盟団体への届出等で煩わしい手続きがあったこともあって、門下へのお披露目は、この日まで延びていたようです。
上記の手続きの煩わしさの原因は、諸賞流の宗家の継承が、68代師範から71代師範に為される形になるために、外部の方から見ると、「なぜ代が飛ぶのか?」と不思議に思われたからのようです。これは説明が難しいです。67代が、68代に宗家の役目を残したまま、69代と70代の師範をお決めになられたので、68代から70代までは、師範と宗家が一致していないから・・・と、私は理解しているのですけれども、もしかしたら、細かいところは違うのかもしれません。いずれにしろ、69代と70代が師範になられたときのことは、私もよく憶えていますし、そのときから、或いはそれ以前から、今回宗家を継承された方が次の宗家になるという認識は、門下の中ではごく自然に形成されていました。ですから、外部の方から見た不自然さとは裏腹に、門下としては、68代から71代までの師範の流れと、68代から71代への宗家の継承は、極めて自然に受け止めています。
なにはともあれ、宗家の継承は、両流の存続をより確かなものとすることですから、目出度いことです。私も、30年以上前からお世話になっている方が両流の宗家に就かれて、心から、良かったなぁ、と思います。
また、諸賞流68代と無辺流16代の両先生は、今まで色々とありがとうございました。まだまだお元気ですから、これからもご指導、ご鞭撻の程、宜しくお願い致します。
最近の記事一覧
携帯用QRコード