その他
2026年8月15日 8時48分31秒 (Sat)
形の中の謎の技について、あれこれ考えてみる
古武術の形は、技として、また学習計画の一要素として、先達者が練り上げた合理性の塊だと、私は考えています。
その一方で、「なんでこんな構えなの?」、「なんでこう受けるの?」、「なんでこんなことをするの?」という疑問や不合理の宝庫でもあります。最初に合理性の塊と言ったことと、かなり矛盾していますけれど。
「なんで・・・」という疑問に対して、謙虚な方は、ご自身がまだ形の神髄に至っていないとお考えになるのでしょうし、自分本意の方は、形を変えるのでしょう。上記疑問に万人納得の明確な答えが出せない以上、どちらの行いが正しいとは言えません。
神道夢想流の神道流剣術の中に、小太刀で大太刀を極めて不自然に受け止める形があります。100%無理とまでは言わないまでも、少なくとも私のような凡人には、もっと合理的な受け方があるだろうにと、思わせる形です。
この形の小太刀の受け方や位置は、会派によって微妙に異なっていて、オリジナルが何処にあるのかは、今となっては分かりません。私の師事する下関のご師範は、乙藤先生のご門下と繋がりがあることもあって、福岡の形を踏襲していますけれども、東京のご師範の受け方とは、一部異なります。東京のご師範は清水先生のご門下ですけれど 、清水先生の系統でも、さらに微妙に異なる受け方があった(ある?)ようです。
この受け方について、下関のご師範と話をすると、「確実な受け方はこうだけれども、形のままでも、こうすれば出来なくもない」と、いろいろと示唆して頂けます。私は、個人的に、これは"受け"ではなく"斬り"だと考えていますけれども、仲間内で議論をすると、いろいろな発想に接せられて、視野が拡がります。
形そのものが"実は間違って伝わっていた"なんてこともあり得ますけれども、それでも、結論のない疑問に思考を巡らせるのも、無駄ではないと思います。
なんらかの答えが出てしまうと、なかなかそれ以上考えなくなるのが人間ですから、疑問は疑問のままにして考え続ける方が、稽古事は楽しいのではないかと思います。
その一方で、「なんでこんな構えなの?」、「なんでこう受けるの?」、「なんでこんなことをするの?」という疑問や不合理の宝庫でもあります。最初に合理性の塊と言ったことと、かなり矛盾していますけれど。
「なんで・・・」という疑問に対して、謙虚な方は、ご自身がまだ形の神髄に至っていないとお考えになるのでしょうし、自分本意の方は、形を変えるのでしょう。上記疑問に万人納得の明確な答えが出せない以上、どちらの行いが正しいとは言えません。
神道夢想流の神道流剣術の中に、小太刀で大太刀を極めて不自然に受け止める形があります。100%無理とまでは言わないまでも、少なくとも私のような凡人には、もっと合理的な受け方があるだろうにと、思わせる形です。
この形の小太刀の受け方や位置は、会派によって微妙に異なっていて、オリジナルが何処にあるのかは、今となっては分かりません。私の師事する下関のご師範は、乙藤先生のご門下と繋がりがあることもあって、福岡の形を踏襲していますけれども、東京のご師範の受け方とは、一部異なります。東京のご師範は清水先生のご門下ですけれど 、清水先生の系統でも、さらに微妙に異なる受け方があった(ある?)ようです。
この受け方について、下関のご師範と話をすると、「確実な受け方はこうだけれども、形のままでも、こうすれば出来なくもない」と、いろいろと示唆して頂けます。私は、個人的に、これは"受け"ではなく"斬り"だと考えていますけれども、仲間内で議論をすると、いろいろな発想に接せられて、視野が拡がります。
形そのものが"実は間違って伝わっていた"なんてこともあり得ますけれども、それでも、結論のない疑問に思考を巡らせるのも、無駄ではないと思います。
なんらかの答えが出てしまうと、なかなかそれ以上考えなくなるのが人間ですから、疑問は疑問のままにして考え続ける方が、稽古事は楽しいのではないかと思います。
2026年5月1日 17時25分46秒 (Fri)
武道と礼儀の関係(あくまでも個人的見解)
武道を学ぶ理由として、礼儀が身に付くからということを良く聞きます。
武道の中核を成す技術が、相手の制圧、揚合によっては殺傷を目的とするものであることからして、相手に対する無礼の極みと言えるにも関わらずに、武道は何かと礼儀と結び付けられます。
ここから先は、私の勝手な考えなのですけれども、上述の中核を成す技術を学ぶのに、別に礼儀は要らないと思います。ただ、礼儀でもなければ、それを学ぶ機会が無くなるとも思います。
それというのも、ただ単に上述の技術を学ぶだけの人物、団体であれば、周囲から危険な人物、団体と見なされて、社会的に排除されるからです。そうすると、外に向かっては、「私、我々は、礼儀正しいですよぉ~」とアピールする必要が出てきます。もとがマイナス要因から出発していますので、ある意味度をこして礼儀正しさを強調しなくてはなりません。さらに尊敬すらされたいのなら、「道」なる文字を付けて、高尚なイメージを付けることに腐心することになります。
また、内に向かっては、稽古相手に対するいたわりが必要になります。技の本来的な使い方ばかりを求める稽古をしていては、相手に怪我を負わせることになり、結果として稽古相手がいなくなるからです。
相手をいたわりながら、相手を痛めつける技術を学ぶという、考えてみればおかしな状況ではありますけれども、稽古を続けるうえで重要なことです。
武術に礼儀を足したものが武道だという考えもありますけれど、武術や格闘技でも、それを続けるには、やはり礼儀は必要になります。
武道の類いを学びたいという者には、強くなりたい、つまりは人より秀でたものを持って優越感を得たいという者が少なからずいると、私は思っています。ですから、そんな者が他者に迷惑をかけないために、また、社会から孤立しないために、礼儀という重石をのせて謙虚さを身に付けてもらわないといけないと思います。
ただ、たまに何のための礼儀なのかが分からなくなっていて、組織内の変なローカルルールになっているものもありますから、注意が必要です。上で「度をこして」という表現を使いましたけれども、やり過ぎはかえって社会常識から外れることになりますから、結局、普通に、常識的に、他者に対する気遣いやいたわりを持って、生きていきましょうという結論になります。
武道の中核を成す技術が、相手の制圧、揚合によっては殺傷を目的とするものであることからして、相手に対する無礼の極みと言えるにも関わらずに、武道は何かと礼儀と結び付けられます。
ここから先は、私の勝手な考えなのですけれども、上述の中核を成す技術を学ぶのに、別に礼儀は要らないと思います。ただ、礼儀でもなければ、それを学ぶ機会が無くなるとも思います。
それというのも、ただ単に上述の技術を学ぶだけの人物、団体であれば、周囲から危険な人物、団体と見なされて、社会的に排除されるからです。そうすると、外に向かっては、「私、我々は、礼儀正しいですよぉ~」とアピールする必要が出てきます。もとがマイナス要因から出発していますので、ある意味度をこして礼儀正しさを強調しなくてはなりません。さらに尊敬すらされたいのなら、「道」なる文字を付けて、高尚なイメージを付けることに腐心することになります。
また、内に向かっては、稽古相手に対するいたわりが必要になります。技の本来的な使い方ばかりを求める稽古をしていては、相手に怪我を負わせることになり、結果として稽古相手がいなくなるからです。
相手をいたわりながら、相手を痛めつける技術を学ぶという、考えてみればおかしな状況ではありますけれども、稽古を続けるうえで重要なことです。
武術に礼儀を足したものが武道だという考えもありますけれど、武術や格闘技でも、それを続けるには、やはり礼儀は必要になります。
武道の類いを学びたいという者には、強くなりたい、つまりは人より秀でたものを持って優越感を得たいという者が少なからずいると、私は思っています。ですから、そんな者が他者に迷惑をかけないために、また、社会から孤立しないために、礼儀という重石をのせて謙虚さを身に付けてもらわないといけないと思います。
ただ、たまに何のための礼儀なのかが分からなくなっていて、組織内の変なローカルルールになっているものもありますから、注意が必要です。上で「度をこして」という表現を使いましたけれども、やり過ぎはかえって社会常識から外れることになりますから、結局、普通に、常識的に、他者に対する気遣いやいたわりを持って、生きていきましょうという結論になります。
2026年4月27日 5時01分11秒 (Mon)
武道、武術、格闘技の団体のカラー
だいぶ前のことですけれど、知り合いの空手の先生を、諸賞流の稽古にお連れしたことがありました。空手の先生が是非とも諸賞流を体験してみたいとおっしゃったので、そうした訳です。
そして、稽古後に先代の御宗家が我々を御自宅に招いてくださいまして、お食事を振る舞ってくださいました。その際に、空手の先生は、私の態度に違和感を覚えたようです。
後日、空手の先生曰く、「お前は、御宗家の手伝いもせずに、ただ飲み食いをしていただけで、弟子としての礼儀がなっていない」。これに対して、私は「他人のお宅で、客が勝手に動き回る方が失礼です」と応えました。私は、いまだにどちらも正しいと思っています。
たしかに、私は先代に対して慣れすぎていたとは思います。若い頃は、先代達と朝まで飲み明かしたこともありましたし、就職してから盛岡に伺った際は先代のお宅に泊めて頂いていたので、師弟間の厳格な規律みたいなものは皆無でした。
これはひとえに先代のお人柄によるところが大きくて、諸賞流の稽古場も、稽古内容はともかくとして、人間関係は極めてアットホームな感じでした。
一方で、無辺流の先代には近寄り難い怖さみたいなものがありましたから(先代は何もしていませんよ。念のため)、同じ道場内なのに、雰囲気が微妙に異なっていました。
諸賞流と並行して稽古していた合気道では、岩間の斉藤守弘先生(故人)を実質的なグループのトップとして稽古していましたけれども、末端の一学生から見た斉藤先生は、一言で言って"怖い"人でした。
大学の御師範や内弟子の方々等の、私から見れば達人クラスの人々が、斉藤先生の一挙手一投足に全神経を集中させて緊張している姿を見れば、自然と畏怖心みたいなものがつくものです。
それても、大学の御師範をはじめ皆さんが斉藤先生を慕っておられたので、何でだろうと思っていたのですけれど、岩間で知り合っていまだに付き合いのある先輩によると、「斉藤先生には、厳しさの中に『こいつを人間として一人前にしてやろう』という愛があった」とのことでした。おそらく、稽古以外の日常生活の態度にも厳しかったのは、そうした気持ちがあったからでしょう。
稽古場のみならず、岩間の敷地全体に張り詰める緊張感は、いまだに忘れられません。
杖術を始めてから所属している団体の実質的なトップは、杖術以外にもいくつかの武術を稽古されていて、その全てにおいて研究熱心な方なので、自ずと団体のカラーも、技の研究みたいな方向に向かいます。
一方で、団体の雰囲気として、上下関係や礼儀のようなことに無頓着なところがあって、見学にいらした方が、「御師範に対するリスペクトが無さ過ぎる」と言って呆れていた(なかば嫌悪していた)と、聞いたことがあります。
たしかに、私も入会した当初は、自由過ぎる雰囲気に、「これで良いのか?」と思っていました。ただ、技を研究するのにも自由度があるので、これはこれで良いかと、今は思っています。
同じ武道、武術、格闘技の団体と言っても、そのカラーは様々です。礼儀を重んじる所、強さを求める所等々。何を重視するのかは、何を求めるのかによりますから、何が正しい、正しくないの問題ではありません。団体のカラーが自分の肌に合わなければ、無理にそこで続けることもありません。
ただ、核になるのは技術ですから、自分が何を学びたいのかをしっかり考えて、稽古先を選びましょう。
そして、稽古後に先代の御宗家が我々を御自宅に招いてくださいまして、お食事を振る舞ってくださいました。その際に、空手の先生は、私の態度に違和感を覚えたようです。
後日、空手の先生曰く、「お前は、御宗家の手伝いもせずに、ただ飲み食いをしていただけで、弟子としての礼儀がなっていない」。これに対して、私は「他人のお宅で、客が勝手に動き回る方が失礼です」と応えました。私は、いまだにどちらも正しいと思っています。
たしかに、私は先代に対して慣れすぎていたとは思います。若い頃は、先代達と朝まで飲み明かしたこともありましたし、就職してから盛岡に伺った際は先代のお宅に泊めて頂いていたので、師弟間の厳格な規律みたいなものは皆無でした。
これはひとえに先代のお人柄によるところが大きくて、諸賞流の稽古場も、稽古内容はともかくとして、人間関係は極めてアットホームな感じでした。
一方で、無辺流の先代には近寄り難い怖さみたいなものがありましたから(先代は何もしていませんよ。念のため)、同じ道場内なのに、雰囲気が微妙に異なっていました。
諸賞流と並行して稽古していた合気道では、岩間の斉藤守弘先生(故人)を実質的なグループのトップとして稽古していましたけれども、末端の一学生から見た斉藤先生は、一言で言って"怖い"人でした。
大学の御師範や内弟子の方々等の、私から見れば達人クラスの人々が、斉藤先生の一挙手一投足に全神経を集中させて緊張している姿を見れば、自然と畏怖心みたいなものがつくものです。
それても、大学の御師範をはじめ皆さんが斉藤先生を慕っておられたので、何でだろうと思っていたのですけれど、岩間で知り合っていまだに付き合いのある先輩によると、「斉藤先生には、厳しさの中に『こいつを人間として一人前にしてやろう』という愛があった」とのことでした。おそらく、稽古以外の日常生活の態度にも厳しかったのは、そうした気持ちがあったからでしょう。
稽古場のみならず、岩間の敷地全体に張り詰める緊張感は、いまだに忘れられません。
杖術を始めてから所属している団体の実質的なトップは、杖術以外にもいくつかの武術を稽古されていて、その全てにおいて研究熱心な方なので、自ずと団体のカラーも、技の研究みたいな方向に向かいます。
一方で、団体の雰囲気として、上下関係や礼儀のようなことに無頓着なところがあって、見学にいらした方が、「御師範に対するリスペクトが無さ過ぎる」と言って呆れていた(なかば嫌悪していた)と、聞いたことがあります。
たしかに、私も入会した当初は、自由過ぎる雰囲気に、「これで良いのか?」と思っていました。ただ、技を研究するのにも自由度があるので、これはこれで良いかと、今は思っています。
同じ武道、武術、格闘技の団体と言っても、そのカラーは様々です。礼儀を重んじる所、強さを求める所等々。何を重視するのかは、何を求めるのかによりますから、何が正しい、正しくないの問題ではありません。団体のカラーが自分の肌に合わなければ、無理にそこで続けることもありません。
ただ、核になるのは技術ですから、自分が何を学びたいのかをしっかり考えて、稽古先を選びましょう。
2026年2月20日 8時09分46秒 (Fri)
第49回大会の観覧 佐分利流槍術
佐分利流は、私が中学生の頃に、初めて間近に見た古流武術です。
私の出身は長野ですけれども、広島の佐分利流の術者の方が、なぜか長野にいらしたのです。剣道の大会で観たその佐分利流を、当時の剣道の先生に、「やりたい、やりたい」と言っていたことを憶えています。ただ、腰を据えて古流を稽古出来るようになった頃には、私は長野を離れてしまったので、佐分利流を学ぶ機会は、とうとうありませんでした。
ちなみに、佐分利流と一緒に観たのが、神道夢想流を基にして作られた杖道でした。今はそちらの神道夢想流を稽古しております。

佐分利流は、一般的にイメージする槍に比べて短い柄を使います。そして、柄が短くなるほどに穂は長くなるという定石どおりに、刃渡り二尺を超える大身の両刃の穂を使います。穂から離れた位置にあるカギは、敵の槍をからめるのに有効で、穂から離れている分、穂による攻撃の際の邪魔になりにくくなっています。
二尺を超えるということは、打刀とほぼ同じ長さです。"槍は斬るもの"との言を信条とされておられますので、七尺弱の柄の先に付けた両刃の剣を振って、斬っていると考えれば良いでしょう。
(リンク)
日本古武道協会/佐分利流槍術
(注) このプログは、特に佐分利流の方への確認を取って書いたものではありませんので、術理の理解の正確さには欠けます。もしも不適切等のご指摘があれば、削除いたします。
私の出身は長野ですけれども、広島の佐分利流の術者の方が、なぜか長野にいらしたのです。剣道の大会で観たその佐分利流を、当時の剣道の先生に、「やりたい、やりたい」と言っていたことを憶えています。ただ、腰を据えて古流を稽古出来るようになった頃には、私は長野を離れてしまったので、佐分利流を学ぶ機会は、とうとうありませんでした。
ちなみに、佐分利流と一緒に観たのが、神道夢想流を基にして作られた杖道でした。今はそちらの神道夢想流を稽古しております。

佐分利流は、一般的にイメージする槍に比べて短い柄を使います。そして、柄が短くなるほどに穂は長くなるという定石どおりに、刃渡り二尺を超える大身の両刃の穂を使います。穂から離れた位置にあるカギは、敵の槍をからめるのに有効で、穂から離れている分、穂による攻撃の際の邪魔になりにくくなっています。
二尺を超えるということは、打刀とほぼ同じ長さです。"槍は斬るもの"との言を信条とされておられますので、七尺弱の柄の先に付けた両刃の剣を振って、斬っていると考えれば良いでしょう。
(リンク)
日本古武道協会/佐分利流槍術
(注) このプログは、特に佐分利流の方への確認を取って書いたものではありませんので、術理の理解の正確さには欠けます。もしも不適切等のご指摘があれば、削除いたします。
2026年2月12日 21時40分12秒 (Thu)
第49回大会の観覧 兵法二天一流剣術
言わずと知れた、剣術界のビックネームです。私の杖術仲間が、この流儀を稽古していて、今回の大会で演武をしていました。

二天一流は、神道夢想流と極めて因縁の深い流儀です。神道夢想流の流祖が、宮本武蔵の二刀に敗れて、その二刀を破るために編み出したのが杖術であるとされるからです。
実際には、武蔵が二刀で戦った記録がないとも言われますので、杖術の起こりの逸話は話半分に聞くとしても、神道夢想流(福岡で伝承)が、同じ九州の二天一流を相当意識していたことは確かです。修行段階の終盤に、打太刀側が二刀になるからです(神道夢想流の二刀)。

武蔵が残した流儀は、幾つかの地域に残っています。今回演武された加治屋御宗家は、北九州市の小倉で流儀の普及、発展にご尽力されておられます。
(リンク)
日本古武道協会/兵法二天一流剣術
兵法二天一流
福岡県古武道連盟/兵法二天一流剣術

二天一流は、神道夢想流と極めて因縁の深い流儀です。神道夢想流の流祖が、宮本武蔵の二刀に敗れて、その二刀を破るために編み出したのが杖術であるとされるからです。
実際には、武蔵が二刀で戦った記録がないとも言われますので、杖術の起こりの逸話は話半分に聞くとしても、神道夢想流(福岡で伝承)が、同じ九州の二天一流を相当意識していたことは確かです。修行段階の終盤に、打太刀側が二刀になるからです(神道夢想流の二刀)。

武蔵が残した流儀は、幾つかの地域に残っています。今回演武された加治屋御宗家は、北九州市の小倉で流儀の普及、発展にご尽力されておられます。
(リンク)
日本古武道協会/兵法二天一流剣術
兵法二天一流
福岡県古武道連盟/兵法二天一流剣術
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