2026年8月 アーカイブ

2026年8月31日 17時19分16秒 (Mon)

「足は親指」も、あやしく思えてきた

 ここ何年か、足裏の使い方を、ずっと考えてきました。何か手掛かりになる文献等はないかと探しているのですけれども、これを詳しく書いたものを見かけません(大雑把なものはいくらでもありますけれどね)。
 武術の世界では、「足は親指」と言います。以前のブログで、これはある程度納得がいくと書きました。これは、母趾球に着目しつつも、母趾球の先にあるのが親指ですから、大した差はないと、自分の中で整理をしたからです。
 ただ、いろいろと試していると、大きな差であるように思えてきます。
 少なくとも、自立して安定的に、ただただ立つという点に絞ると、足の親指というか、指は全般的に使わない方が良いように思います。足の指、特に親指は、アンカーであり、ブレーキになりますから、外からの外乱としての力を骨に沿って下に流すように、重心位置を調整するうえでは、邪魔になることの方が多いように思います。
 ただ立つうえでは、足の指は、少し反り上げる心もちで、また、ジャンケンのパーを出すようなつもりで足裏を拡げて力を抜くのが、良いように思います。私の頭の中のイメージでは、やわらかくなり始めた餅を、床にベトッと置く感じです。この状態で、足裏の母趾球、小趾球、かかとの三点の全てを接地させるのが一つの立ち方ですけれども、あえて一点で立つならば、足裏の母趾球でしょう。

 母趾球は、親指を床に咬ませる時にも接地していますから、足裏の中で最も接地する率が高く、最も活躍している箇所であると、私は思います。
 そうすると、「足は小指」と言うよりは、「足は母趾球」と言うべきではないかと、個人的には思います。

2026年8月15日 8時48分31秒 (Sat)

形の中の謎の技について、あれこれ考えてみる

 古武術の形は、技として、また学習計画の一要素として、先達者が練り上げた合理性の塊だと、私は考えています。
 その一方で、「なんでこんな構えなの?」、「なんでこう受けるの?」、「なんでこんなことをするの?」という疑問や不合理の宝庫でもあります。最初に合理性の塊と言ったことと、かなり矛盾していますけれど。

 「なんで・・・」という疑問に対して、謙虚な方は、ご自身がまだ形の神髄に至っていないとお考えになるのでしょうし、自分本意の方は、形を変えるのでしょう。上記疑問に万人納得の明確な答えが出せない以上、どちらの行いが正しいとは言えません。

 神道夢想流の神道流剣術の中に、小太刀で大太刀を極めて不自然に受け止める形があります。100%無理とまでは言わないまでも、少なくとも私のような凡人には、もっと合理的な受け方があるだろうにと、思わせる形です。
 この形の小太刀の受け方や位置は、会派によって微妙に異なっていて、オリジナルが何処にあるのかは、今となっては分かりません。私の師事する下関のご師範は、乙藤先生のご門下と繋がりがあることもあって、福岡の形を踏襲していますけれども、東京のご師範の受け方とは、一部異なります。東京のご師範は清水先生のご門下ですけれど 、清水先生の系統でも、さらに微妙に異なる受け方があった(ある?)ようです。

 この受け方について、下関のご師範と話をすると、「確実な受け方はこうだけれども、形のままでも、こうすれば出来なくもない」と、いろいろと示唆して頂けます。私は、個人的に、これは"受け"ではなく"斬り"だと考えていますけれども、仲間内で議論をすると、いろいろな発想に接せられて、視野が拡がります。

 形そのものが"実は間違って伝わっていた"なんてこともあり得ますけれども、それでも、結論のない疑問に思考を巡らせるのも、無駄ではないと思います。
 なんらかの答えが出てしまうと、なかなかそれ以上考えなくなるのが人間ですから、疑問は疑問のままにして考え続ける方が、稽古事は楽しいのではないかと思います。

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