2026年3月 アーカイブ

2026年3月19日 17時22分36秒 (Thu)

武器を握る際の手のひらの使い方

 「杖の握り方について」「手の指についての、とりあえずのまとめ」のブログを書いた際に、武器を握る際の留意点を、指の使い方のこととして書きました。
 この指の留意点は、武器が相手に当たっているときと、いないときとを通じて書いたものですけれども、武器が相手に当たっているときに着目すると、武器の握りは、また違った観点で見る必要が出てきます。

 あれだけ指のことについて書いておいてなんですけれど、武器が相手に当たっているときには、指以上に手のひらの方が大事になると思います。

 剣術での一般的な握りや、杖術で言うところの本手(順手)においては、小指球と母指球とで武器を挟んで、その間にある手根(手首近くの丘)と手の窪(てのくぼ)に武器を収めます。収めた位置から武器を外さないことが肝要で、だからこそ、小指球と母指球による挟み込みが重要になります。

 武器が相手に当たっていないときでも、普通に武器を持っているときは、締めの強弱はともかくとして、同じ所で握りますので、特に変わりはありません。
 むしろ、廻刀動作以外では、同じ所で握るべきで、手のひらの中でいちいち武器の位置が変わるような握りは、良くないように思います。

2026年3月14日 10時12分10秒 (Sat)

「ただ一撃にかける」を観て

 もう昨年のことですけれども、NHKで、"にんげんドキュメント「ただ一撃にかける」"という剣道の世界大会をテーマにした番組の再放送を観ました。20年以上前の本放送も観たのですけれど、20年以上も経つと、自分の着眼点も変わるものだなと、思いました。

 私には剣道の深いところなど理解できませんけれど、主人公の、相手の技の起こりでの間合いの切り方が、絶妙だなと思いました。世界大会での延長戦でも、相手の打つ気を、絶妙に間合いを切って外していましたし、不用意に間合いに入ることを辛抱強く避けていました。それで相手が焦れて、雑に正中線を取りにいった末に構え直したところを、主人公が左片手突きで勝負を決めていました。

 勝負は時の運ですから、あの片手突きが打ち落とされ、或いは摺り上げられる等して、面に乗られる可能性も十分にあったと思います。
 勝敗を分けた要因は、主人公がなかなか間合いに入らないので、それに慣れた相手の気の弛みにあると見て良いでしょう。

 片手技は間合いが延びますので、その分踏み込みは少なくて済みますし、突きは面打ちほどに間を詰めなくて済みますので、さらに踏み込みが少なくて済みます。そして、竹刀を振る必要もないですから、最短最速の奇襲攻撃としては最良でしょう。ただ、完全な捨て身技なので、頭で考えて出せる技ではないでしょうね。素晴らしい勝負勘だと思います。感心しきりです。

 その一方で、これだけ精妙な駆け引きを要するのは、ルール内で、そのルールに沿ったスタイルで、限られた技を駆使して闘うからだと思われ、それにどれ程の意味があるのだろうかとも考えてしまいました。
 狭い範囲を突き詰めるのか、或いは、できるだけ何でもありの状況を想定するのかといった、求めるものの方向性の違いですから、良し悪しではないのですけれども、競技性の強い格闘技と武術との違いを含めて、いろいろと考える良い機会になりました。

2026年3月9日 17時03分13秒 (Mon)

「速く動けるに越したこと」はないけれど、速いだけでは成立しない

 「足を運ぶには・・・」のブログを書いた際に、「武術においては、速く動けるに越したことはありません」と、書きました。
 この考えは、相手或いは相手の武器と接していないときに言えることで、接したあとは、そうとは限りません。
 いや、むしろ、相手側に攻撃力を伝えようと思ったら、最速より一段落とした、最適な速さがあると思います。 速いだけだと、弾く或いは弾かれる力に変わるので、それを目的にするならともかく、力を相手側の自分の思う点に働かせようと思ったら、それなりの時間がかかります。それなりの時間と言っても、第三者が観たら一瞬なのでしょうけれども。

 一瞬とはいえ、それなりの時間ですから、相手に反撃させないためには、事前の崩しが重要になります。崩すには、読みが必要です。読むためには観察が要ります。
 相手を観てその動きを読み、最短最速で動いて相手を崩し、適度な時間をかけて自分の思う点に力を送り込む。これが、技の一般的な一連の流れではないかと思います。

2026年3月4日 7時36分27秒 (Wed)

私は「免許本伝」になっていたらしい

 私が持っている諸賞流の正式な目録は、三十数年前に頂いた「中位申渡」だけです。正式な位としては一番下です。
 この中位申渡の目録は、先代の御宗家の直筆のもので、先代が一文字ひともじ丁寧に、丹精を込めて書かれたことが一目で分かる、私にとっては宝物です。

 私は盛岡の出ではありませんし、しっかり稽古をしたのは学生の頃の6年間だけですから、位は中位申渡までだと思っていました。そして、先代及び当代の御宗家方や門下の方々のご厚意で、たまに盛岡で稽古ができて、たまに日本武道館等で演武ができるだけで、有り難いことだと思ってきました。それで、演武の際の案内等に記載された私の位が上がっていることには気付いていましたけれど、特に目録を頂いている訳でもないので、それは演武の箔付けのための一種のハッタリだと思っていました。
 ただ、2年前から私の肩書きが「免許本伝」になっていたので、さすがに気になって先代にお伺いを立てたところ、「その力があるので、免許本伝をおあげしました」というお手紙を頂きました。

 目録もないのに、私は「免許本伝」だと言って良いのか?という疑問はありますけれど、先代からのお手紙を目録だと思って、有り難くその位を頂くことに致しました。

 それにしても、本人にすら告知せずに、しれっとその位を上げているというのは、先代らしいと言えば先代らしいです。

2026年3月3日 12時44分22秒 (Tue)

足を運ぶには、肋骨の下部で脚を出しながら、倒れ込めば良い・・・ように思う

 表題のとおりなのですけれども、この辺の身体的な感覚は、現実と自分の感覚が一致しているのかさえあやしいものですから、話半分で読んでください。

 武術においては、速く動けるに越したことはありませんし、相手に動きを悟られない方が良いに決まっていると思います。

 そのうえで、動こうとするたびに重心を一方の足から他方の足に乗せ換えていると、その分時間がかかりますし、外から観ていて重心移動がバレバレで、次の動きを読まれます。
 そうすると、重心の移動はしないように、或いは極少として、少なくとも外から見えないようにしないといけません。重心移動をせずに一方の足を抜くと体勢は倒れ込むことになりますけれど、それで良いのだと思います。そして重心移動をせずに足を抜くには、今のところの私の感覚では、瞬間的に内臓を上げて、それと同時に肋骨の下部(仮肋)、すなわち第8~12肋骨を先導させるようにしています。ただ、これは臍下丹田をなにかと重視する考えとは相容れませんので、はたしてこれで良いのかどうかは判りません。速く動くには、こうした方が良いと思うだけです。

(2026/04/07 追記)
 早く動くために「瞬間的に内臓を上げ」ると書きましたけれど、その後、意識を臍下丹田に落としても、同じくらいの速さで動けるような気がしてきました。当然、先導させる身体の部位は変わりますけれども。
 今のところの考えとしては、速く動くには、意識を中丹田に上げるか、臍下丹田に落とすかのニ拓で、中途半端はいけない、ということになります。

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