2025年9月 アーカイブ
2025年9月30日 8時02分08秒 (Tue)
杖の握り方について
前出の東京の杖術の御師範は、杖の握り方を、本手(順手)と逆手とで明確に区別して、ご指導されていました。
かなり簡単に言うと、本手は、主に小指と薬指側で持ち、逆手は、主に親指と人差し指側で持つと、説明できます。
物事は何でも、突き詰めると終わりが見えなくなるものですけれど、武器の握り方についてもそういうところがあります。指の使い方は勿論として、手のひらでどう掴むのか、指と手のひらをどのタイミングでどう締め込むのか等々です。日常の中で、細長い物で片っぱしから験していますけれど、いろいろとヒントを得られるという意味では、細い物の方が都合が良いですね。
握り方に精通するということは、"手の内"を作ることにつながります。また、副産物として、暗器の握りや日用品等の武器化にもつながるのではないかな、と思います。まぁ、神道夢想流には、必要のないことですけれども。
話しが逸れました。
握り方そのものの研究は勿論として、杖を持つ際に、本手と逆手とをどう使い分けるかを研究対象にすると、神道夢想流も、また長く楽しめますよ。
かなり簡単に言うと、本手は、主に小指と薬指側で持ち、逆手は、主に親指と人差し指側で持つと、説明できます。
物事は何でも、突き詰めると終わりが見えなくなるものですけれど、武器の握り方についてもそういうところがあります。指の使い方は勿論として、手のひらでどう掴むのか、指と手のひらをどのタイミングでどう締め込むのか等々です。日常の中で、細長い物で片っぱしから験していますけれど、いろいろとヒントを得られるという意味では、細い物の方が都合が良いですね。
握り方に精通するということは、"手の内"を作ることにつながります。また、副産物として、暗器の握りや日用品等の武器化にもつながるのではないかな、と思います。まぁ、神道夢想流には、必要のないことですけれども。
話しが逸れました。
握り方そのものの研究は勿論として、杖を持つ際に、本手と逆手とをどう使い分けるかを研究対象にすると、神道夢想流も、また長く楽しめますよ。
2025年9月29日 6時51分22秒 (Mon)
神道夢想流杖術の正中線の取り方について
神道夢想流杖術の正中線の取り方について考える前に、神道夢想流の杖の打ち込み方と構えについて触れておきます。
杖の打ち込みの基本は、中段の構えから、杖尻側の拳を体側後方に引いて、さらに杖を半回転させて相手の横面を打つ形になります。体側に在る杖を、わざわざ正中線上に挙げることはありません。
また、中段の構えも、後ろの拳を、すぐに体側後方に引けるように、体側側に寄せます。杖先は、剣術の晴眼の構えのように目合いに付けて正中線上に置きますけれど、後ろの拳が体側側に寄るので、青眼の構え(剣先を相手の左目に付ける構え)のように、杖の延びる方向は、正中線と一致せずに斜めになります。
足の置き方は、後ろ足が45°開く点は岩間スタイルの合気道の杖術と同じですけれども、両足の間が左右に拳一個半程度空く点は異なります。岩間スタイルの足の置き方が、一直線上を進んで、一点上で身体を旋回させ得ることを前提にするものであるのに対して、神道夢想流のそれは、2本のレールの上を進むイメージで、体を捌きはしても、旋回を想定していません。
神道夢想流の中段の構えをまとめると、上から見たイメージとしては鋭角の二等辺三角形で、両足の左右の開きが底辺に当たり、等辺の一方が杖に当たります。構えの段階で"クサビ"のような形になっていますので、そのまま前進すれば、相手の武器を正中線から外して、こちらが正中線を取れます。
ただし、杖には鍔がない事を忘れてはいけません。刀に対して正中線を取って優位に立ったつもりでも、例えば、相手が、杖をガイドレールにして刀をこちらの手元に滑り込ませてくれば、杖を握っていた指は簡単に無くなります。
そんなわけで、杖は、正中線を取っても、気が抜けません。
ところで、神道夢想流においては、剣術における切り落としと同じ形になることは、まずありません。それは、上述のとおり、杖の打ち込みが、いわゆる横面打ちになり、真正面に打ち込むことがないからです。神道夢想流では、相手の斬り筋と自身の打ち込みの筋が、同一線上に乗ることがまずなく、基本的に、二つの筋は交差することになります。
仮に、神道夢想流で、相手の正面打ちを切り落としのように対処しようとするならば、相手の刀を正中線から外すために、横面の角度で入れた杖を、刀と交差した点からそのまま斜めに振り通すことになります。ただ、斜めに振り通すと、杖も正中線から外れますから、間髪入れずに杖先を相手の目合いに付けることになります。
と、いうのが、神道夢想流の形から想定される、相手の刀を正中線から外して、杖で正中線を取る流れですけれども、瞬間的とはいえ杖が正中線から外れるというのが、個人的にはどうも肯けません。
手練の剣術使いなら、刀を打たれた瞬間に受け流して刃を返してくるでしょうし、刃を返さなくても、上述のとおりに、杖をガイドレールにして刀を滑り込ませれば、杖を持つ指は斬り落とせます。
神道夢想流の形に拘らなければ、馬庭念流の「切り割り」や「割り突き」、柳生新陰流の「十文字勝ち」などが、術理として参考になるのではないかと、個人的には思います。
交差法、つまりは攻防の一致は、武術を研究する上で必ず必要になる概念だと思います。
杖の打ち込みの基本は、中段の構えから、杖尻側の拳を体側後方に引いて、さらに杖を半回転させて相手の横面を打つ形になります。体側に在る杖を、わざわざ正中線上に挙げることはありません。
また、中段の構えも、後ろの拳を、すぐに体側後方に引けるように、体側側に寄せます。杖先は、剣術の晴眼の構えのように目合いに付けて正中線上に置きますけれど、後ろの拳が体側側に寄るので、青眼の構え(剣先を相手の左目に付ける構え)のように、杖の延びる方向は、正中線と一致せずに斜めになります。
足の置き方は、後ろ足が45°開く点は岩間スタイルの合気道の杖術と同じですけれども、両足の間が左右に拳一個半程度空く点は異なります。岩間スタイルの足の置き方が、一直線上を進んで、一点上で身体を旋回させ得ることを前提にするものであるのに対して、神道夢想流のそれは、2本のレールの上を進むイメージで、体を捌きはしても、旋回を想定していません。
神道夢想流の中段の構えをまとめると、上から見たイメージとしては鋭角の二等辺三角形で、両足の左右の開きが底辺に当たり、等辺の一方が杖に当たります。構えの段階で"クサビ"のような形になっていますので、そのまま前進すれば、相手の武器を正中線から外して、こちらが正中線を取れます。
ただし、杖には鍔がない事を忘れてはいけません。刀に対して正中線を取って優位に立ったつもりでも、例えば、相手が、杖をガイドレールにして刀をこちらの手元に滑り込ませてくれば、杖を握っていた指は簡単に無くなります。
そんなわけで、杖は、正中線を取っても、気が抜けません。
ところで、神道夢想流においては、剣術における切り落としと同じ形になることは、まずありません。それは、上述のとおり、杖の打ち込みが、いわゆる横面打ちになり、真正面に打ち込むことがないからです。神道夢想流では、相手の斬り筋と自身の打ち込みの筋が、同一線上に乗ることがまずなく、基本的に、二つの筋は交差することになります。
仮に、神道夢想流で、相手の正面打ちを切り落としのように対処しようとするならば、相手の刀を正中線から外すために、横面の角度で入れた杖を、刀と交差した点からそのまま斜めに振り通すことになります。ただ、斜めに振り通すと、杖も正中線から外れますから、間髪入れずに杖先を相手の目合いに付けることになります。
と、いうのが、神道夢想流の形から想定される、相手の刀を正中線から外して、杖で正中線を取る流れですけれども、瞬間的とはいえ杖が正中線から外れるというのが、個人的にはどうも肯けません。
手練の剣術使いなら、刀を打たれた瞬間に受け流して刃を返してくるでしょうし、刃を返さなくても、上述のとおりに、杖をガイドレールにして刀を滑り込ませれば、杖を持つ指は斬り落とせます。
神道夢想流の形に拘らなければ、馬庭念流の「切り割り」や「割り突き」、柳生新陰流の「十文字勝ち」などが、術理として参考になるのではないかと、個人的には思います。
交差法、つまりは攻防の一致は、武術を研究する上で必ず必要になる概念だと思います。
2025年9月28日 6時43分21秒 (Sun)
武器技の正中線の取り方 持に切り落とし(打ち落とし)について
標記の件は、剣術を少しでも稽古された方ならば、「何を今さら」と思われるでしょう。
とはいえ、これまでに、剣道、岩間スタイル合気道の剣術、神道夢想流杖術を稽古をしてきて、やっぱりこれは重要だな、と思います。
ただ、それぞれに、晴眼の構えというか、中段の構えが微妙に異なりますので、正中線の取り方も微妙に異なります。
剣道では、右足を前にし、左足を後ろにして、両足平行で前を向き、だいたい、剣先と右拳と左拳が正中線に来ています。正中線を取り合う際には、相手の竹刀を押さえる、叩く、弾く、巻く、或いは自分の竹刀を擦り込んで、相手の竹刀を正中線から外そうとします。
打ち落としの際は、正面を打ち込んでくる相手の竹刀に対して、両足平行の直線的かつ僅かな前進運動で、相手の打ち込みから僅かに遅れて、自分の竹刀を打ち込みながら擦り込んで、竹刀の身幅分だけ、相手の竹刀を正中線から外します。そして、そのまま正面打ちになります。
岩間スタイルの合気道における剣術では、後ろ足を外に約45度開きつつ、前足を正面に向けて、後ろ足も前足も正中線上に乗せて構えます。右拳も左拳も、だいたい正中線にきています。
そして、岩間スタイルの組太刀も、最後は仕太刀が正中線を取って終わります。最後に正中線を取る際は、相手の正面斬りに対して、後ろ足から半歩退きながら、相手より僅かに遅れて、自分の刀で正中線を斬り通し、その過程で、相手の刀を自分の刀で擦り落として、へその辺りまで斬り込みます。擦り落とす際の相手の刀の側面への圧は、手の内と、半身の構えによる腰の切れで作ります。結果として、相手の剣先は自分の左側に外れ、自分の剣先は相手の鍔元に乗る形になります。これで終わっても良いのですけれど、正中線が取れているかをを確認するために、最後に相手の腹を突いたりします。この突きを、擦り落としとほぼ同時に行うこともあります。
私が合気道を稽古していた頃の岩間には、大きなタイヤの輪の下半分を地中に埋めたものが幾つか在って、これをかなり重い極太の木刀で打って、弾かれないようにする鍛練をしていました。これが、刀で中心線を取る下地になる訳です。当時は、「これって、力業?」と思っていましたけれど、今になって考えてみると、やはり純粋な技ですね。と、言うか、剣先に重みを伝える身体の使い方と言うべきでしょうか。今のところ意識している身体各部の連携は、後ろ足ー後ろ股関節−背中−右肩甲骨ー右拳の繋がりによる武器の送り込みと、後ろ股関節−左脇腹−左肩甲骨−左拳の繋がりによる武器の支持(送り込みに対する相対的な引き)です。この連携は、研究課題としては面白いと思います。あとは、筋肉でしか繋がっていない(つまり間接ではない)肩甲骨をどう使うのかということと、手の内ですね。
打ち落としに関する剣道と岩間スタイルとの微妙な違いは、相手の斬撃に負けない圧の出し方だと思います。この圧を出すのに、剣道は、腰の左を直線的に前に出しています(右も当然出ています)。それに対して、岩間スタイルでは、腰の左を相対的に退いて、つまりは、腰を切って、圧を出しています。
二つの違いを強調してみましたけれど、剣道にしろ、岩間スタイルにしろ、正面に斬り込んでくる相手の刀を、自分の刀を僅かに遅れて出して、擦り落とす点で共通しますし、いずれも、相手の勢いに負けない土台を身体の左側で作り、右手は、刀の側面(鎬)が接した瞬間に働かせる訳でして、結局のところ何も変わらないと、言うべきかもしれません。
さて、杖術の正中線の取り方ですけれども、基本的に剣術と同じ・・・という訳にはいきません。これについては、別に考察します。
とはいえ、これまでに、剣道、岩間スタイル合気道の剣術、神道夢想流杖術を稽古をしてきて、やっぱりこれは重要だな、と思います。
ただ、それぞれに、晴眼の構えというか、中段の構えが微妙に異なりますので、正中線の取り方も微妙に異なります。
剣道では、右足を前にし、左足を後ろにして、両足平行で前を向き、だいたい、剣先と右拳と左拳が正中線に来ています。正中線を取り合う際には、相手の竹刀を押さえる、叩く、弾く、巻く、或いは自分の竹刀を擦り込んで、相手の竹刀を正中線から外そうとします。
打ち落としの際は、正面を打ち込んでくる相手の竹刀に対して、両足平行の直線的かつ僅かな前進運動で、相手の打ち込みから僅かに遅れて、自分の竹刀を打ち込みながら擦り込んで、竹刀の身幅分だけ、相手の竹刀を正中線から外します。そして、そのまま正面打ちになります。
岩間スタイルの合気道における剣術では、後ろ足を外に約45度開きつつ、前足を正面に向けて、後ろ足も前足も正中線上に乗せて構えます。右拳も左拳も、だいたい正中線にきています。
そして、岩間スタイルの組太刀も、最後は仕太刀が正中線を取って終わります。最後に正中線を取る際は、相手の正面斬りに対して、後ろ足から半歩退きながら、相手より僅かに遅れて、自分の刀で正中線を斬り通し、その過程で、相手の刀を自分の刀で擦り落として、へその辺りまで斬り込みます。擦り落とす際の相手の刀の側面への圧は、手の内と、半身の構えによる腰の切れで作ります。結果として、相手の剣先は自分の左側に外れ、自分の剣先は相手の鍔元に乗る形になります。これで終わっても良いのですけれど、正中線が取れているかをを確認するために、最後に相手の腹を突いたりします。この突きを、擦り落としとほぼ同時に行うこともあります。
私が合気道を稽古していた頃の岩間には、大きなタイヤの輪の下半分を地中に埋めたものが幾つか在って、これをかなり重い極太の木刀で打って、弾かれないようにする鍛練をしていました。これが、刀で中心線を取る下地になる訳です。当時は、「これって、力業?」と思っていましたけれど、今になって考えてみると、やはり純粋な技ですね。と、言うか、剣先に重みを伝える身体の使い方と言うべきでしょうか。今のところ意識している身体各部の連携は、後ろ足ー後ろ股関節−背中−右肩甲骨ー右拳の繋がりによる武器の送り込みと、後ろ股関節−左脇腹−左肩甲骨−左拳の繋がりによる武器の支持(送り込みに対する相対的な引き)です。この連携は、研究課題としては面白いと思います。あとは、筋肉でしか繋がっていない(つまり間接ではない)肩甲骨をどう使うのかということと、手の内ですね。
打ち落としに関する剣道と岩間スタイルとの微妙な違いは、相手の斬撃に負けない圧の出し方だと思います。この圧を出すのに、剣道は、腰の左を直線的に前に出しています(右も当然出ています)。それに対して、岩間スタイルでは、腰の左を相対的に退いて、つまりは、腰を切って、圧を出しています。
二つの違いを強調してみましたけれど、剣道にしろ、岩間スタイルにしろ、正面に斬り込んでくる相手の刀を、自分の刀を僅かに遅れて出して、擦り落とす点で共通しますし、いずれも、相手の勢いに負けない土台を身体の左側で作り、右手は、刀の側面(鎬)が接した瞬間に働かせる訳でして、結局のところ何も変わらないと、言うべきかもしれません。
さて、杖術の正中線の取り方ですけれども、基本的に剣術と同じ・・・という訳にはいきません。これについては、別に考察します。
2025年9月27日 9時17分57秒 (Sat)
杖を 刀のように使う? やっぱり棒として使う?
前出の東京の杖術の御師範の術理の基本は、「杖を刀のように使う」ということです。杖での打ち込みの際に、斜めに刀筋を通すように、つまりは刀の袈裟切りのように、杖を斜め真っ直ぐに振り通します。打太刀側も袈裟に斬りますから、武器の扱いが統一されて、術理がすっきりします。
神道夢想流で多用される、斬りつけられた刀を打ち払う行為も、剣術の理合で捉えて、相手の斬り込みに合わせて杖を擦り込んで、打ち落とすことを裏に秘めたものとして考えます。
杖に仮想の刃を想定して、刃筋を立てることを考えると、手の内や手首の使い方に意識が行って、稽古上、有益なことが多いのです。
一方、前出の下関の御師範は、杖を刀のように使うことは一法として捉えるとして、杖を棒として使う方法論も良く考えておられます。
一度示されたのが、杖の重心点辺りで、ぶったたくという使い方です。この方法は、杖に与えた運動エネルギーのほぼ全部を、打点に送り込めますので、相手に大きな衝撃を与えられます。杖の慣性に任せた打ち方です。
まぁ、これはお遊びの内ではありますけれど、「一つの発想に囚われずに、自由にやりなさい」ということでしょう。
下関の御師範は、刀を打ち払う行為においても、手首を、極めて僅かですけれども、捻る(被せる)ような打ち方も研究されており、杖先に重みを乗せる方に意識が行っておられるように見えます。ただ、研究熱心な方なので、今後も打ち方が変わるかもしれません。
杖術の仮想敵は刀です。杖で刀とどう闘うかを考えるうえで重要になる、二つの武器の違いとして、
杖は、
1) 鍔がない、
2) 軽い、
3) 高い攻撃力は端の角でしか出せない、
4) 刃がない、
5) 一尺ほど長い、
という点が挙げられます。
杖が有利と言える点は5)しかありません。1)と2)は刀と闘う上で致命的な弱点になります。3)は攻撃力の弱さを示していますし、4)は何処でも持てる利点はあっても、逆に相手に何処でも何時でも掴まれる弱点になります。これらの弱点、特に1)と2)の弱点を承知のうえで、刀という刃の付いた鉄の塊を擦り落とすという、ある意味ロマンを追うのか、或いは、棒としての特性を思考するのかは、稽古する者の自由でしょう。
ただ漠然と稽古をするよりは、上の1)~5)を常に念頭に置いて、杖をどう使うのかを研究した方が良いでしょう。
神道夢想流で多用される、斬りつけられた刀を打ち払う行為も、剣術の理合で捉えて、相手の斬り込みに合わせて杖を擦り込んで、打ち落とすことを裏に秘めたものとして考えます。
杖に仮想の刃を想定して、刃筋を立てることを考えると、手の内や手首の使い方に意識が行って、稽古上、有益なことが多いのです。
一方、前出の下関の御師範は、杖を刀のように使うことは一法として捉えるとして、杖を棒として使う方法論も良く考えておられます。
一度示されたのが、杖の重心点辺りで、ぶったたくという使い方です。この方法は、杖に与えた運動エネルギーのほぼ全部を、打点に送り込めますので、相手に大きな衝撃を与えられます。杖の慣性に任せた打ち方です。
まぁ、これはお遊びの内ではありますけれど、「一つの発想に囚われずに、自由にやりなさい」ということでしょう。
下関の御師範は、刀を打ち払う行為においても、手首を、極めて僅かですけれども、捻る(被せる)ような打ち方も研究されており、杖先に重みを乗せる方に意識が行っておられるように見えます。ただ、研究熱心な方なので、今後も打ち方が変わるかもしれません。
杖術の仮想敵は刀です。杖で刀とどう闘うかを考えるうえで重要になる、二つの武器の違いとして、
杖は、
1) 鍔がない、
2) 軽い、
3) 高い攻撃力は端の角でしか出せない、
4) 刃がない、
5) 一尺ほど長い、
という点が挙げられます。
杖が有利と言える点は5)しかありません。1)と2)は刀と闘う上で致命的な弱点になります。3)は攻撃力の弱さを示していますし、4)は何処でも持てる利点はあっても、逆に相手に何処でも何時でも掴まれる弱点になります。これらの弱点、特に1)と2)の弱点を承知のうえで、刀という刃の付いた鉄の塊を擦り落とすという、ある意味ロマンを追うのか、或いは、棒としての特性を思考するのかは、稽古する者の自由でしょう。
ただ漠然と稽古をするよりは、上の1)~5)を常に念頭に置いて、杖をどう使うのかを研究した方が良いでしょう。
2025年9月26日 17時04分49秒 (Fri)
ムエタイについて(思い出など)
キックボクシングのミドル級の元チャンピオンで、港太郎(故人)という先生がいらっしゃいました。残念ながら若くしてお亡くなりになられましたけれど、その港先生から、生前の極短期間だけ、ムエタイを教えて頂いたことがあります。
先生の朴訥としながらも優しいお人柄もあって、ムエ夕イに惹かれたため、その後、コロナ禍を経て、ム工タイの練習を再開させました。
初心者なりに考えてみると、ムエタイの術理は、身体の各部に軸を設定し、その軸を使った各部位の動きの連携にあると思います。
左を出したければ右を退きますし、脚を出したければ上体を退きます。例えば、オーソドックスの構えから右拳を思いっきり出したければ、右腰を出しつつ相対的に左腰を退いて、左肩を思いっきり退くことになります。
個人的な感覚では、軸を使うと言っても、旋回をイメージするのではなくて、軸を内包した平行四辺形の左右の対辺を相互に前後の反対方向にずらして、平行四辺形を軸の周囲で変形及び潰すイメージになります。対辺の右の一方が右腕になりますし、その前端が右拳で、その対角が左肩になります。
そして、平行四辺形を変形及び潰す際には、土台になる右足(後ろ足)の支えと言うか、右足からの反力が必要だと感じます。右足の拇指球から右腰の後ろ側を通って右の肩甲骨から右拳に力が通るイメージです。
これらを素早く反復しても軸を崩さず、連打し続けられるように、重心と体勢を常に最良の状態に維持しなければなりません。それには、応答性の良い筋肉や、最良の状態を筋肉や自身の感覚に覚え込ませるだけの練習が必要になるのでしょう。
私は以前から、自分はまともに立てていないし、歩けてもいないと思っていましたけれど、ムエタイの先生に教えて頂いた基礎作りのメニューを実践してみると、たちどころにそれが露呈します。そんな自分にガッカリしつつも、改善的がハッキリしたことを喜ぶようにして、歳なりに頑張っています。
先生の朴訥としながらも優しいお人柄もあって、ムエ夕イに惹かれたため、その後、コロナ禍を経て、ム工タイの練習を再開させました。
初心者なりに考えてみると、ムエタイの術理は、身体の各部に軸を設定し、その軸を使った各部位の動きの連携にあると思います。
左を出したければ右を退きますし、脚を出したければ上体を退きます。例えば、オーソドックスの構えから右拳を思いっきり出したければ、右腰を出しつつ相対的に左腰を退いて、左肩を思いっきり退くことになります。
個人的な感覚では、軸を使うと言っても、旋回をイメージするのではなくて、軸を内包した平行四辺形の左右の対辺を相互に前後の反対方向にずらして、平行四辺形を軸の周囲で変形及び潰すイメージになります。対辺の右の一方が右腕になりますし、その前端が右拳で、その対角が左肩になります。
そして、平行四辺形を変形及び潰す際には、土台になる右足(後ろ足)の支えと言うか、右足からの反力が必要だと感じます。右足の拇指球から右腰の後ろ側を通って右の肩甲骨から右拳に力が通るイメージです。
これらを素早く反復しても軸を崩さず、連打し続けられるように、重心と体勢を常に最良の状態に維持しなければなりません。それには、応答性の良い筋肉や、最良の状態を筋肉や自身の感覚に覚え込ませるだけの練習が必要になるのでしょう。
私は以前から、自分はまともに立てていないし、歩けてもいないと思っていましたけれど、ムエタイの先生に教えて頂いた基礎作りのメニューを実践してみると、たちどころにそれが露呈します。そんな自分にガッカリしつつも、改善的がハッキリしたことを喜ぶようにして、歳なりに頑張っています。
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